労働力の再配置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:59 UTC 版)
「ナチス・ドイツの経済」の記事における「労働力の再配置」の解説
完全雇用は達成されたものの、業種間の労働者需要に偏りがあり、特に建築・金属の分野では熟練工が不足していた。またヒトラーの志向する自給自足経済には、労働力の再配置が不可欠であった。このため政府は1934年12月29日の「熟練金属労働者配置令」、1935年2月26日の「労働手帳導入に関する法律」、1936年6月26日の「公共建築事業実施に際しての労働力需要の届け出に関する命令」など、労働力需給を国が調整するための法律を次々と制定し始めた。 軍需産業の活況にともない景気が上昇することで、民間における労働力需要はますます高まった。政府は賃金を上昇させない政策を取っていたが、企業は残業時間を増やしたり、手当を増額することで給与を上げ、労働力の争奪に走った。このため政府の監視にもかかわらずじわじわと給与水準は上昇した。 1938年5月からは西部国境の要塞線ジークフリート線の建設が始まったが、総工費35億マルクにのぼるこの要塞線の構築には10万人の工兵隊と、トート機関による35万人の労働奉仕者が参加し、国内の労働市場はさらに逼迫した。6月22日、政府は労働力の確保のため、国策上特に重要なる任務の為の労働力需要確保令を発令し、国民に政府が求める職場での労働、もしくは職業訓練を受ける義務を課した。これにより、国民の職業選択の自由は失われた。国民を最も生産的な場所に配置するために、国防評議会は全国民に国民カード目録への登録を義務づけた。国民カードは親衛隊秩序警察のクルト・ダリューゲにより管理された。行政では法務と税務を簡素化して人員を異動させ、全ての製造工場は査察を受けることとなった。
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