力道山との試合、謎のKO負け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 21:12 UTC 版)
「木村政彦」の記事における「力道山との試合、謎のKO負け」の解説
この試合は、力道山側によるレフェリー「ハロルド登喜」の選定、木村側のみ当身禁止(力道山は空手チョップのみ使用可)という力道山側に有利なルールで行われた。木村側の証言によれば、本来この試合は、あくまで勝敗の決まったプロレスであり、東京をはじめ、大会場で両者勝敗を繰り返しながら全国を巡業する予定であった。しかし、初戦で力道山がその約束を反故にして突如と殴りかかり、戸惑った木村がKOされたとされる。 現存しているビデオ映像(木村有利の場面はカットされている)では、以下の流れが確認できる。 力道山が金的蹴りをアピールした後、右ストレートで木村の顎に見舞う。その後、張り手を連打するが、木村がタックルに行ってそれを防ぐ。 タックルによるクリンチをロープブレイクで分けられた後、レフリーに金的蹴りの注意を受け、試合再開の合図前に力道山が攻勢に入る。 力道山、顔面に左掌底、テンプルに右張り手、右前蹴りをみまい、再度木村がレフリーに向かって抗議している間にも力道山が再び前蹴り。これを木村が両手で防御するが、頭部が開いたところにテンプルへの張り手が入り最初のダウン。 座り込んだ木村に力道山がフロントチョークを狙うが決まらずも、顔面キック2発を当てて木村が四つ這いになったところ、後頭部から頸部当たりを踏みつける。 木村、何とか持ち直すも、力道山の右張り手が頚部に、続けて左張り手が顎に入ったところで昏倒。 この試合においての木村の敗北は、「プロレスを甘く見ていた結果」と「力道山側の騙し討ち」といった両方の見方がある。その後、木村と力道山の再試合が組まれることは無かった。さらに後日、それぞれの後ろ盾の暴力団同士の仲介で、手打ちが決まり和解することとなった。後に木村は、プロレスラーとしての活動は乗り気ではなく、力道山の引き立て役を嫌がっていたことを証言している。また、屈辱的な敗戦の後に力道山と金銭で和解したのは、すべて妻の結核が理由であり、アメリカ製の高価な薬ストレプトマイシンの費用を捻出するためであると語っている。なお、この薬のおかげで妻は命を取り留めた。作家時代の猪瀬直樹は、晩年の木村を取材した結果、本人から「力道山は俺が呪い殺した」という趣旨のコメントを得ることができた。
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