刑の言渡無効・復権へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 00:36 UTC 版)
「日本共産党スパイ査問事件」の記事における「刑の言渡無効・復権へ」の解説
1945年8月の終戦後、10月4日にGHQは、政治犯の釈放等を命ずる覚書を発出した。これを受けて日本政府は、直ちに治安維持法違反等の政治犯釈放の措置に入った。10月9日、宮本顕治は、刑の執行を停止するという形で網走刑務所から釈放され、袴田も19日には釈放された。10月17日には昭和20年勅令第579号(大赦令)が発令され、治安維持法等の政治犯罪の赦免が決定された(これにより宮本は懲役20年に減刑)。宮本達は直ちに日本共産党の再建にとりかかり、中央委員会で要職を占めた。 1945年12月29日には、昭和20年勅令第730号(政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件)が発令された。この勅令は、治安維持法や出版法といった法律に違反した政治犯や思想犯、軍事犯、海外領土のみに公布された法律に違反して判決が下ったものに対し、その刑の言い渡しを無効とするものであった。 ただし、この勅令には例外規定が存在した。刑法第二編に規定された罪、爆発物や銃砲に関する罪、食糧管理法違反などとあわせて判決が下った場合には、この勅令は適用されない事になっていた。 この事件の判決を構成した罪状には、刑法第二編に含まれる監禁、監禁致死、監禁致傷、傷害致死、死体遺棄、そして銃砲火薬類取締法施行規則違反が存在するため、この勅令の適用外となり、釈放された宮本らは刑の執行が停止されている状態となる。 1947年、刑の執行停止状態に気づいた東京検事局が宮本と袴田に出頭を要求した。4月末、GHQから司法省に対し指示があり、資格回復の措置がとられた。5月15日には民政局により「二人は単なる政治犯として釈放されたのであるから、その公民権はSCAPIN458号によって回復されねばならない。SCAPIN458号に基づき発布された勅令(730号)によって処理されるべき問題である。」といった内容の覚書が発給されている。宮本らには5月29日付、東京地方検察庁検事正木内曽益名で「将来に向て其の刑の言渡を受けざりしものと看做(みな)す」との復権証明書を発行された。 共産党側は、この復権措置により一般刑法犯の有罪判決も治安維持法違反の一環としてなされた不当判決であり、無実であることが証明されたとしている。一方、稲葉修法務大臣は1976年1月30日の衆議院予算委員会において、「有罪の判決があったという既往の事実まで否定するものではありません。したがって、それまでになされた判決の執行等は当然有効であるし、また、判決によって認定された犯罪事実がそれによってなかったことになるわけでもありません。いわんや、これらの判決によって認定された犯罪事実がでっち上げになるわけでももちろんございません」との見解を示した。 1976年の5月19日の国会では、共産党の正森成二の質問に対して法務省の安原美穂刑事局長は、釈放に関するGHQの指令は超憲法的な特別な指示であったけれども、占領下においては適法な措置であり、宮本らの公民権は回復されている状態であると答弁している。
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