函館の近代競馬の起こりとは? わかりやすく解説

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函館の近代競馬の起こり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 15:45 UTC 版)

函館海岸町競馬場」の記事における「函館の近代競馬の起こり」の解説

1879年明治12年)の函館大火影響で翌13年招魂社競馬中止となったこのため時の大書記官時任為基函館海岸町開催され第二回農業博覧会余興として競馬行ったとされる費用時任開拓使七重勧業試験場長湯地定基、および官吏たちが出したという。時任函館県設置に伴い函館県令になるが、明治15年2月には農業博覧会用地48000坪に一周440間(約800メートルコース幅は8間(約14.5メートル)の環状馬場設置した。この競馬場競馬を行うべく明治16年9月函館有志によって北海共同競馬会社設立される発起人函館大経らで明治16年10月26,27二日間わたって北海共同競馬会社として初の競馬を行う。 それまで函館行われていた競馬近代競馬からはほど遠い祭礼競馬であったが、1883年明治16年10月から始まる北海共同競馬会社による函館海岸町競馬函館における近代競馬嚆矢であるとされる北海共同競馬会社では競馬規則定め明治16年10月26,27二日間競馬大まかな番組表記録されており、記念すべき第1回目レース賞金5円3歳日本馬限定9頭立てレースで距離は220間(400メートル)で出走料は20銭。10月26日には全部11レースが行われ日本馬限定距離は440間(800メートル)が7レース日本馬限定660間(1200メートル)が2レース最後11レース目のみ雑種馬のレース組まれ3歳限定レースで距離は330間(600メートルが行われた。第1レースと第11レース3歳限定だが、他のレースでは年齢問わない行われている。賞金5円から15円、出走料は20銭から50銭である。翌27日にも同じ番組競馬行われた雑種馬の第11レースだけは2日目には行われていない。この時の競馬では勝負服は自由で斤量設定していない。規則は緩やかで裸馬禁じたくらいである。競馬場には観客用に幅50間(90メートル)の桟敷席設け観客入場料は5銭で6000余り観覧したという。翌明治17年5月には第2次競馬が行われ、その後春秋の年2回開催されている。 開催回数増えるにつれ賞金増えていき、大雑把だった競馬規則だんだんと整備されていく。斤量定められ検量行われるようになっている1886年明治19年7月行われた第6次競馬では様子がやや詳しく残っており、開催2日間で出場60頭、レース1日に9レース行われている。距離は800メートルから長いもので1600メートル競われ1等賞金は最高32円に増額されているが出走料も2円と増額されている。1886年明治19年7月では北海共同競馬会社社長に時任為基就任し函館大経検査役就任している。北海共同競馬会社こののち競馬開催していく。

※この「函館の近代競馬の起こり」の解説は、「函館海岸町競馬場」の解説の一部です。
「函館の近代競馬の起こり」を含む「函館海岸町競馬場」の記事については、「函館海岸町競馬場」の概要を参照ください。

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