函館へ赴任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:33 UTC 版)
1875年、北海道函館近郊の七重へ出張。馬匹改良のため、馬の去勢技術を指導した。気性の悪い馬を去勢によって温和にし、同時に遺伝子を残さぬよう淘汰することは欧米においては一般的な手法であったが、当時の日本においては士族を中心に「気性の悪い馬を乗りこなしてこその馬術」という意識が強く、当初エドウィンの指導はなかなか浸透しなかった。しかし当時の日本における馬術の第一人者であった函館大経の理解を得ることに成功し、馬の去勢は次第に受け入れられるようになった。 七重においてエドウィンは新冠牧場の経営改善策について報告書を提出し、種豚、種牡馬の輸入を要求。さらに中国からの羊の輸入頭数について意見を出した。 同年、エドウィンは日本人女性(ツル)と国際結婚をした。この結婚により、エドウィンは日本に永く留まる決意をしたといわれる。のちに中平ヤマと再婚。
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