内閣書記官長・楢橋渡
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「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「内閣書記官長・楢橋渡」の解説
幣原内閣(1945年10月9日-1946年5月22日)で、発足時内閣法制局長官、46年1月13日より内閣書記官長、2月26日より国務大臣(内閣書記官長兼務)とトントン拍子に位階を極めた楢橋渡は、これまで憲法制定史であまり注目されてこなかったが、憲法改正を推進したキーマンである。楢橋は内閣書記官長であった当時、ケーディスとハッシーから秘密情報を打ち明けられ、「絶対秘密裡に」協力を要請された。楢橋は二人とは友達づきあいし、一緒にダンスをしたり、酒を飲んだり、何でも打ち明ける仲であった。 突如として司令部から2月の13日に今のマッカーサー憲法というものを持ってきた。私のところにケーディスとハッシーが参りまして、この憲法を大体2週間くらいで作り上げろということを申した。(略)松本憲法とか甲案とか乙案ということでは間に合わなくなった。(略)極東委員会においてソビエト・ロシアその他2、3の国が天皇を廃した共和主義にする憲法草案を日本側にマッカーサーに至上命令としてだすぞという秘密情報が自分の方に入っておる。だからどうしても、それがくれば、マッカーサーが進駐以来、日本の国情というか、天皇と国民との関係等を詳細に検討をしておる今日の段階において、そういうものがくれば非常な混乱がおきて、マッカーサーの占領政策に痛い失敗というか、大きな影響を与えるものであるから、どうしてもその案がくる前に相当思い切った案をもって向うの案を押さえなければ押さえ切れないということを実は申したのであります。その案の一番大きなポイントは、結局天皇制と軍備の問題の2つをもつて、むしろ極東委員会のそういうような案に肩すかしを食わせるというか、機先を制して、反対のできないような案をもつてその場を切り抜ける以外には方法がないというようなことを実は申しまして、私にそれはあくまで日本のためであるから協力してもらいたい、そうしてもしこれが漏れるようなことがあれば私を厳重に処罰するといいました。 — 憲法調査会第5回総会での楢橋証言より
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