内閣更迭、退陣拒否
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 23:34 UTC 版)
「エジプト革命 (2011年)」の記事における「内閣更迭、退陣拒否」の解説
1月29日未明にムバーラクは国営テレビにて「テレビ演説」を行い、大規模デモ発生後に初めて公に姿を現した。演説の中で国営テレビにアフマド・ナズィーフ首相を含む全閣僚の解任と民主化、経済改革の実行を約束した。しかしデモ参加者の求める退陣には応じず、デモに対する強硬姿勢も示したため、直後に演説に反発したデモ隊数万人がカイロに集結し退陣要求デモが発生するなど事態打開の決め手とはならなかった。この時点で死者は70人を超えたとも報じられた。警察は交通整理の警官も治安部隊も姿を消した。軍は「武力行使をしない」と発表した。またこの日、夜間外出禁止令が午後4時から翌朝8時までと延長された。同日中にナズィーフ内閣は総辞職。ムバーラクは前内閣で民間航空大臣だったアフマド・シャフィークを新首相に指名し、組閣を命じた。副大統領には情報長官で、国民の人気が高いオマル・スレイマーン(以下スレイマン)を指名。ただし、スレイマンはムバーラクに大統領退陣を促していたとも報じられている。 政権側もデモを抑えきれない状況が続き、29日にムバーラクが退陣を表明するのではないかという憶測も流れたが、実際にはそうはならなかった。 また、29日には数々の貴重な収蔵物を擁するエジプト考古学博物館は軍や市民が混乱から守っていると伝えられたが、古代エジプトのミイラが2体破壊されるなどの被害を受けた。 1月31日、ムバーラクがシャフィーク内閣を任命。スレイマン副大統領は野党に対話を呼びかけた。 またこの日、エジプト当局よりインターネットを遮断された同国民向けに、TwitterがGoogleなどと協力し、電話からメッセージを書き込めるサービスを開始した。
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