内容と展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/01/10 04:15 UTC 版)
創刊号に掲載されたクライストのドラマ『ペンテジレーア』の断片は、雑誌本体と同じく、ほとんど正当な評価を受けなかった。例えば、カール・アウグスト・ベッティガーは1808年2月6日この作品についてこう述べている。「多くの点で全くといっていいほど無意味であるか、歪曲され奇を衒っていると思われ…」クライストは創刊号で、ゲーテに対してほとんど卑屈と言ってもいいくらいに「心より平身低頭して」この作品を捧げているにもかかわらず、ゲーテもまた同じような考えを持った。この雑誌の運命は実際は、第一号からすでにあやしいものだったのである。3月2日にはヴァイマールでゲーテ演出による喜劇『こわれ甕』初演が失敗して酷評を受けたことでクライストと不和になったためもあり、もはやゲーテからの投稿が望めないことは決定的だった。 借金が増えるにしたがって二人の仲は緊張したが、それでもクライストとミュラーは続けた。早くも3月の末には財政は苦しくなり、第三号の発行は滞った。4月半ばにようやく3月号が発行できるというありさまで、ミュラーは編集の仕事からは手をひいてしまうが、投稿だけはこの後も続けている。7月にはクライストが家族から200ターラーを借りようとしていたことも分かっており、8月にはあちこちの劇場に『ハイルブロンのケートヒェン』の原稿を提出して上演を引き受けてくれるところを探しているのも金策のためだと思われる。10月半ばにはヴァルター書店がフェーブスの出版を引き受け、第六号が発行された。このあとの4巻は比較的短い間隔で発行されている。しかしクライストは経済的困窮に加えてこのころから反ナポレオン色を強め、関心は主に政治に向けられるようになった。新たに民族主義的雑誌を発行することも考えていたクライストは芸術雑誌への意欲を失い、フェーブスの発行は1809年2月21日に発行された第十一・十二号をもって最後となった。
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