共和国空軍の発足と冷戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:48 UTC 版)
「イタリア空軍」の記事における「共和国空軍の発足と冷戦」の解説
1946年6月18日、イタリア共和国空軍(アエロナウティカ・ミリターレ、イタリア語: Aeronautica Militare)として新たな出発を始めたイタリア空軍であったが、第二次世界大戦の敗戦国としての厳しい再軍備規制が軍再建に立ち塞がった。1947年2月10日にイタリア共和国政府は旧連合国とパリ講和条約を締結したが、条約は軍再建に様々な制約を課していた。しかし1949年に冷戦による東西対立の時代を迎えると、イタリアは1949年に結成されたNATOの創設メンバーに加えられ、軍備制限の大幅な撤廃を許された。加えて米伊相互防衛援助協定に基づいてアメリカ空軍からの装備提供が開始、P-51マスタングとP-47サンダーボルトがイタリア空軍部隊に装備された。1952年の後半頃には戦闘機のF-84とF-86、それに航空機のC-119が新たにアメリカ軍から提供された。 イタリアの航空産業も戦後復興が進むに連れて再び国産機の開発を再開し、アエルマッキ MB-326やフィアットG.91、ピアジオ・エアロ・インダストリーズP166などの機体を開発・生産した他、ヘリコプターの国産化にも着手した。 空軍にとって初めての超音速ジェット戦闘機となったロッキードF-104はフィアット社によってライセンス生産が行われた。1970年代はG.222(後にC-27J スパルタンへと改良)とロッキードC-130が空軍の輸送機採用を争うまでになっていた。戦闘機もF-104をイタリア空軍の防空ドクトリンに合わせて改修したF-104Sの配備が行われていった。国際的な共同開発にも進出、ブラジル空軍と共同開発(7割近くを担当)したAMXは良好な成績を収め、空軍機の共同開発を進めていたドイツ・イギリスとのトーネード開発計画へと繋がっていった。 1990年に湾岸戦争が勃発するとイタリア空軍はこれに参加した。1945年の第二次世界大戦以来の戦争参加となった。
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