公職など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 07:44 UTC 版)
「ローレンス・サマーズ」の記事における「公職など」の解説
1982年から1983年にかけてロナルド・レーガン政権の大統領経済諮問委員会スタッフを務めた。また1988年アメリカ合衆国大統領選挙では民主党のマイケル・デュカキス候補の経済アドバイザーとなった。1991年にハーバード大学教授を辞任し、世界銀行上級副総裁(世界銀行チーフエコノミスト)に就任する。1993年にビル・クリントン政権が成立すると財務省に移って財務次官を務め、また1995年に財務副長官も務めた。日本でも榊原英資との円高是正の協調介入で知られている。1999年7月にロバート・ルービンの辞任に伴い、後任の財務長官に就任する。アメリカ合衆国財務長官として国内の経済・財政政策や日本などの対外経済関係と通貨危機などの国際経済を担当した。 2001年1月20日にジョージ・W・ブッシュ政権成立に伴い、ハーバード大学に学長として復帰した。2006年に女性が科学で優秀な成績をあげられないのは素質の差だと受け止められる発言をして大学の内外から激しい批判を浴び、同年6月30日に学長を辞任した。 2008年春学期より教職に復帰し、ハーバード・カレッジ及びハーバード・ケネディ・スクールの学生を対象にグローバリゼーションについての講座を受け持った。2009年にバラク・オバマ政権1期目で国家経済会議委員長に就任したものの、2010年末に辞任した。2011年からはハーバード・ケネディ・スクールで教鞭を執り、教職生活に戻っている。2013年にはベン・バーナンキの後任となるFRB議長候補に名前が挙がり有力視されたが、アメリカ民主党内にも反対が根強く9月15日に自ら選考の辞退をオバマに申し入れた。
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