公害・不良配給品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 10:21 UTC 版)
戦後になって、公害に対する認識が高まり、富山県神通川流域で1910年代から発生していたイタイイタイ病が問題視された。原因は上流にある三井金属神岡工業所が川に流した金属廃液にカドミウムが含まれており、下流域の田畑を汚染、そこで収穫されたコメなどの作物や飲み水を利用した人々の骨がゆがんだり、ひびが入ったりした(神通川流域では1998年にもカドミウム腎症が多発した、という)。その後、水俣病などとともに四大公害病に数えられるようになった。 戦後の配給体制に対して、1948年には奥むめおらによる主婦連合会が発足し、消費者運動が始まり、不良品の配給などに対して抗議運動が起こるようになる。1951年(昭和26年)、配給米のビルマ産米の3分の1がカビに汚染された黄変米だったことが発覚する黄変米事件が発生。 1955年6月(昭和30年)森永ヒ素ミルク事件が発生。森永乳業で製造された粉ミルクに多量のヒ素が含まれていた。死者131名。患者数12,159名(昭和31年2月時点)。 1956年5月(昭和31年)熊本県で水俣病が発生。チッソ水俣工場の排水により汚染された水俣湾の魚介類を食べた住民に食中毒被害が生じた。死者157名、患者968名(昭和51年4月時点)。 1965年6月(昭和40年)、新潟県で第二水俣病(新潟水俣病)が発生。昭和電工鹿瀬工場の排水に、アセトアルデヒド合成を行う際の有機水銀が含まれており、それによって汚染された川魚を食べた人々に被害が生じた。死者33名、患者数625名(昭和51年3月時点)。 1968年3月(昭和43年)カネミ油症事件が発生。死者28名、患者数1,283名。
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