八坂神社由来とは? わかりやすく解説

八坂神社由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:12 UTC 版)

牛頭天王」の記事における「八坂神社由来」の解説

鎌倉時代末に成立した社家条々記録』には「別記貞観十八南都円如建立堂宇 奉安置薬千手等像 則今年六月十四日 天神東山之麓祇園ニ令垂跡御座」とあり、また『群書類従神祇部所収の「二十二社註式」には「牛頭天皇垂迹播磨明石浦 移広峰 其後移北白河東光寺後人五十七代陽成院元慶年中感神院 託宣曰 我天竺祇園精舎守護神云々 故号祇園社」とある。 これらによれば牛頭天王は、天竺では祇園精舎守護神であったが、日本では最初播磨国明石浦(兵庫県明石市)に垂迹、ついで広峰兵庫県姫路市)に移りその後京都東山北白川東光寺へ、陽成天皇貞観18年876年)に東山山麓垂迹したため堂宇建立、あるいは元慶年間877年-885年東山感神院移ったとされるのが祇園社現在の八坂神社)である。広峯社が祇園社元宮であるという上記伝承室町時代吉田神道採用したことから大い広まり江戸時代には祇園社時にこの説を受け入れるようになるなど完全に通説化した。しかし、現代的な歴史学的観点から八坂神社創祀について先駆的研究行った久保田収は、平安時代文献には広峯社は一切あらわれないことや、伝播ルート重要な拠点である東光寺設立以前にすでに祇園の名称が遣われていることなどを詳細に検討した結果、広峯遷座説を否定している。また、祇園社祭神平安時代記録では「天神」または「祇園天神」とされていることから、最初牛頭天王ではなかった可能性指摘されている。牛頭天皇祇園社結び付けられる最初文献の例は12世紀半ばで、祇園社祭神明確に牛頭天王記録されるのは鎌倉時代以降文献である。さらに、牛頭天王祇園精舎のあるインド信仰され形跡はなく、その伝経路とされる中国朝鮮においても「牛頭天王」やそれに相当する神仏信仰され痕跡がない。そのため、牛頭天王現在の学説では日本における独自の神であると考えられている。

※この「八坂神社由来」の解説は、「牛頭天王」の解説の一部です。
「八坂神社由来」を含む「牛頭天王」の記事については、「牛頭天王」の概要を参照ください。

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