円如
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/15 15:12 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動圓如 | |
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延徳3年 - 永正18年8月20日 1491年 - 1521年9月20日(新暦[1]) |
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院号 | 遍増院 |
諱 | 光融 |
生地 | 山科 |
円如(えんにょ)は、戦国時代の浄土真宗の僧。院号は遍増院。権少僧都。父は浄土真宗本願寺派第9世宗主・真宗大谷派第9代門首実如。母は高倉永継の娘・如祐。妻は叔父の願証寺住持蓮淳の娘・慶寿院。本願寺第10世証如の父。父に先立って没したために歴代本願寺法主には加えられていない。
山科本願寺にて実如の次男として生まれ、12歳の時に兄・照如の死を受けて得度して本願寺法嗣に定められる。高齢の父に代わって教団の実務を行う。北陸門徒に対し一向一揆の禁止をはじめとする3か条の戒めを発布したり、本願寺の一族を一門衆(嫡男)と一家衆(次男以下)に分ける一門一家制を設けたり、蓮如の文書の中から80通を選んで5帖に編集し『五帖御文』と呼称し、宗門信条の基本とするなどの教団改革を行い、戦国期の本願寺体制の基礎を築いたが、31歳の若さで没した。
脚注
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