飯田覚誠とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 飯田覚誠の意味・解説 

飯田覚誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/07 06:10 UTC 版)

飯田 覚誠(いいだ かくじょう、弘化4年(1847年) - 大正9年(1920年)3月15日)は、近代時宗。時宗大本山無量光寺住職

江戸旗本青山氏家臣の家に生まれる。浄土宗大本山の芝増上寺で修学したのち、時宗当麻派の乗願寺第44世を経て、本寺である無量光寺の第60世他阿上人となる。明治26年(1893年)の火災で疲弊し、時宗の多数派を占める遊行派に押されつつあった当麻派再興のために尽力した隠れた傑僧である。当時すでに浄土宗の名僧として知られていた山崎辨榮に次期住持職を託し自らは乗願寺に隠居する。無量光寺山門の脇に他阿真教600年遠忌を記念した大正9年(1920年)建立の覚誠の筆になる大きな名号碑が残されている。乗願寺で亡くなった。法名は「教蓮社随誉(他阿上人)亮本覚誠(大和尚)」。同じ年に辨榮もこの世を去っている。

参考文献

  • 座間美都治『当麻山の歴史』(当麻山無量光寺、1974年
  • 大橋俊雄『宗仲寺史』(宗仲寺、1979年
先代:
他阿大賢
当麻上人
第60代:1900年-1918年
次代:
他阿弁栄



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「飯田覚誠」の関連用語

飯田覚誠のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



飯田覚誠のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの飯田覚誠 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS