小見の方とは? わかりやすく解説

小見の方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/08 15:50 UTC 版)

小見の方(おみのかた / こみのかた、1513年永正10年)[1] - 1551年天文20年)[1])は、戦国時代女性斎藤道三正室[注釈 1][注釈 2]で、帰蝶織田信長正室)の母。

生涯

江戸時代に編纂された『美濃国諸旧記』によれば、明智光継美濃国明智長山城主)の娘として生まれる。明智光秀は甥にあたるとする説[3]がある。

天文元年(1532年)、長井規秀(のちの斎藤道三)に嫁ぎ、天文4年(1535年)に女子(帰蝶)を儲けた。

天文20年(1551年)3月11日に肺病により死去。既に亡くなったことになっているが、『言継卿記』(山科言継の日記)には、永禄12年(1569年)8月1日付の日記に信長が(信長本妻の)姑に礼を述べるため会いに行くと記述がある[4]ため、当時の資料であるこちらの方が信憑性があるのでこの時点ではまだ存命したと考えられる。

登場作品

小説

テレビドラマ

脚注

注釈

  1. ^ 道三には嫡男義龍を産んだ深芳野一色左京大夫義清の娘)という女性がいたが、元は土岐頼芸であったため、深芳野は側室とされる。
  2. ^ 木下聡は正室であったかは不明としている[2]

出典

  1. ^ a b 『美濃国諸旧記』
  2. ^ 木下, 聡『斎藤氏四代―人天を守護し、仏想を伝えず―』ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2020年2月10日、131頁。ISBN 978-4-623-08808-9 
  3. ^ 小和田哲男『明智光秀―つくられた「謀反人」』〈PHP新書〉1998年。 ISBN 978-4-56-960109-0 
  4. ^ 山科言継『言継卿記 第四』国書刊行会、1915年、361頁。doi:10.11501/1919259https://dl.ndl.go.jp/pid/1919259/1/188 

小見の方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 02:07 UTC 版)

徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「小見の方」の解説

道三の正室濃姫実母

※この「小見の方」の解説は、「徳川家康 (山岡荘八)」の解説の一部です。
「小見の方」を含む「徳川家康 (山岡荘八)」の記事については、「徳川家康 (山岡荘八)」の概要を参照ください。

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