先駆的な周期律の考察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 08:33 UTC 版)
18世紀後半から19世紀前半にかけて化学の発展に伴い元素が数多く発見され、1789年にアントワーヌ・ラヴォアジエが作成したリストでは33個の元素が記載された。1830年までにその数は55種まで増え、それとともに化学者の中には漠然とした不安が持ち上がっていた。元素は一体何種類あるのか、そしてこの増えるばかりの元素には何かしらの法則性が隠されていないのだろうかという疑念である。1829年、ドイツのヨハン・デーベライナーは1826年に発見された臭素の色や反応における性質、そして原子量が塩素およびヨウ素の中間にあることに気づいた。彼は他にも同様の組み合わせが無いか研究したところ、カルシウム-ストロンチウム-バリウムと硫黄-セレン-テルルにも同じような性質の近似性があることを見つけた。デーベライナーはこの組み合わせを三つ組元素と名付けた。しかし、当時知られた元素のうちこれに当てはまるものは.mw-parser-output .frac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .frac .num,.mw-parser-output .frac .den{font-size:80%;line-height:0;vertical-align:super}.mw-parser-output .frac .den{vertical-align:sub}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1⁄6に過ぎず、多くの化学者は単なる偶然と片付けた。当時、原子量と分子量、そして化学当量は明確に区別されておらず、混同も多かった。 1862年にフランスの鉱物学者ベギエ・ド・シャンクルトワが「地のらせん」という説を発表し、円筒状の紙に元素を螺旋型に並べると垂直方向に性質が近似した元素が並ぶと唱えた。しかし彼は数学における錬金術的な「数秘学」という方法でこれを説明し、的確な図を添付しなかったために他の科学者には理解されなかった。1864年、イギリスのジョン・ニューランズが当時知られていた元素を並べると、最初(水素)と8番目(フッ素)の性質が似ており、以下2番目(リチウム)と9番目(ナトリウム)も同じ傾向があり、これは7番目(酸素)と14番目(硫黄)まで同様に見られることを、音楽の音階になぞらえて「オクターブの法則」と名付けて発表した。ただしこれはさらに大きな元素には当てはまらなかったために賛同を得られずかえって「では元素記号のアルファベット順に並べたらどうなる」と嘲笑の的になった。1864年、ドイツのロータル・マイヤーは既知49種類の元素を原子容(原子体積)に着目し16列にわけた周期表を考案した。これは電子価が同じ元素が近似した性質を持つことを表していた。
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