先駆的女性とその晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 03:44 UTC 版)
「マリア・モンテッソーリ」の記事における「先駆的女性とその晩年」の解説
教育者としてのみならず、マリアは一人の女性としても多くの足跡を遺している。20世紀初頭における女性の社会進出の最先鋒として男性と対等な地位を獲得したほか、私生活ではシングルマザーの先駆けともなった。一人息子マリオは幼少時、養父母に預けられたが、10代で彼女に引き取られたのちは、マリアの教育事業を手伝い、モンテッソーリ協会会長として、モンテッソーリ教育の普及に専心した。 また、マリアは晩年、世界平和と子供の尊厳を訴える運動を世界各国で展開。その功績が認められ、1950年、ノーベル平和賞の候補にもあげられている。 1946年に76歳でインドからオランダのアムステルダムに戻り、その後はインドとヨーロッパで過ごした。1952年に81歳の生涯を閉じる。オランダの北海沿岸の町、ノールトヴァイク・アーン・ゼーのカトリック教会墓地に眠る。 イタリア通貨がユーロに切り替わる以前に流通していたイタリア1000リラ紙幣には、マリア・モンテッソーリの肖像画(表)とその学習風景(裏)が描かれていた。
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