元信者らの証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:21 UTC 版)
信者らが石垣島へ避難している間に、本土で炭疽菌をばらまく計画があった。同年4月に最初の散布が実行されるが、被害がなく失敗に終わった。その後も炭疽菌の製造が続けられたが、その過程で信者らを被害から守るために富士山総本部道場を初め、「清流精舎」でも、「ハルマゲドンに備えたシェルター」という名目で、壁から天井一面にビニールの覆いが作られた。同時にハルマゲドンに備えて外から電気を引くという名目で電気工事が行われていた。石垣島セミナーから帰ったばかりのある信者は、あまりに粗雑で異常な光景にハルマゲドンが起これば外の世界が滅ぶため、意味がないのではないかと考えたが、ワークを行っている信者らは「上からの指示だから」とだけ答えた。ビニール製のシェルターは、強度が弱く、子ども班がいた棟では、シェルターの中を子どもが走り回るため、10分も経たずに破れるありさまだった。その対策として「ビニール班」が組織された。出家信者らにもこの演出はリアリティに欠けるように見られ、在家信徒らは「見て見ぬふり」をしている印象であったという。セミナーの最中には、麻原の三女アーチャリーが「こんなビニールがシェルターになんかなるわけないよねー」と言って去っていったが、それを聞いた女性出家信者2人は、「とにかく、いま与えられていることを全力で頑張りましょう」などと発言していたという。それらの光景を目撃した元信者の証言では、この出来事は、麻原の予言のすべてをそのまま鵜呑みにすることをしなくなった大きなきっかけになり、予言がらみの話を聞いたときには、なにか別の意図がないかを少なからず考えるようになった。さらに、ビニールのシェルターは核爆弾用ではなく、オウムが自らまいたボツリヌス菌から守るためのものだと後に聞かされたが、シェルター造りがずさんだったのは、ボツリヌス菌を利用した兵器に、人を殺傷する能力がないことがわかっていたからではないかと考えたという。事実、効果が著しく低いのは、散布の前の動物実験で確認されていたという話もある。 この信者によれば、麻原は世間では大ぼら吹きで、目が不自由なために細かいことにまで気が回らないのではと世間で推測されているが、経典の翻訳や修行法の効果の確認などで、それが正しいかどうかを常に検証していた細かい一面があり、開発した兵器の効果や、それから身を守るためのシェルターの能力を知らずに大量散布の指示をしていたとは考えられないことから、それらを折り込み済みで演出を行っていたのではないかと証言している。
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