元となった写真
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 01:06 UTC 版)
つげ自身が夢をそのまま描いたものではないと証言しており多くの作品で写真をもとにコマを描き込んでいたことは知られていたが、この作品においても元となった写真作品が存在しコマによってはほぼ忠実に描かれている。元となったとみられる写真作品とつげの描いたコマの双方が2018年2月発行の『スペクテイター』第41号で9点公開された。 少年が目の描かれた眼科の看板の立ち並ぶ建物の前を歩くコマ。 王双金『目』(1962年)及び朱逸文『目』(『フォトアート』1963年5月号) 「ねッ、おしえてください イシャは どこだ!」と叫び地面に横たわる少年の傍らを4人のラッパ吹きが通り過ぎようとするコマ。 エリオット・アーウィット『メキシコ』(『アサヒカメラ』1965年1月号)、青野義一『緩慢な殺人』(『アサヒカメラ』1962年12月号) 高野慎三が松本清張説を疑っていたスパナ男のコマ。 木村伊兵衛『知里高央』(「新・人間」より、『アサヒカメラ』1965年7月号) 「当然静脈は切断された」とのセリフのシーンに描かれた朽ちた流木。 掛川源一郎『熊のシャレコウベ』(「アイヌの祭り」より『フォトアート』1965年4月号) 少年が「ぼくは出血多量で死ぬかもしれない」と呟きながら無数の十字架のような木に干された洗濯物の間を歩くコマ。 藪出直美『干し物のある浜』(『カメラ毎日』1963年11月号) 「僕は必死になって医者を探しているのです」と少年が言い、老人が「するとお前さまはイシャを探しているのだね」と答えるコマ。 鹿島忠一『祭礼の日』(『フォトアート』1965年4月号)および千田光芳『祭礼の日』(『カメラ毎日』1965年3月号) 「しかしこの車はもと来た方向へ走っているではないか」と少年が話すシーンに斜め横方向から描かれた蒸気機関車。 慶應義塾大学鉄道研究会「阿里山森林鉄道」(「写真紀行 台湾の汽車」より『鉄道ファン』1966年8月号) 産婦人科医が「ここは男のくる所ではありません」と話すコマ。 高木尚雄『壁画のある家』より(『フォトアート』1964年4月号) モーターボートのラストシーン。 北井三郎『しぶきとかぜ』(『日本カメラ』1963年7月号)
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