修行・修法・布教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/13 03:35 UTC 版)
霊光上人は、生涯に全国各地で数々の修行を行っている。年齢はいずれも数え年。 1897年(8歳) 伝灯寺裏の洞窟内で7日間の修行 98年(9歳) 富山県中新川郡上市町の真言宗日石寺で修行 99年(10歳) 河北郡小坂村長江谷火葬場跡にて修行。修行中、浄土真宗住職及び檀徒の妨害に遭う。 1901年(12歳) 伝灯寺裏の洞窟内で7日間の断食修行。 釣部村入口の景清洞(ガンドウの穴)で断食修行。 医王山にて修行。 02年(13歳) 奈良県の生駒山頂、白水ノ峯にて70日間の荒行。下山中に瓜生外吉海軍中将に救助される。 06年(17歳) 医王山鳶ケ岳洞窟で十一面観音菩薩秘法、川合田不動明王で不動明王秘法を修法。伝燈寺裏山の洞窟で十一面観音菩薩秘法を修法。 07年(18歳) 修行中に30~40人の暴徒に襲われ、西川いま家に難を救われる。倉ケ岳の洞窟で十一面観音秘法を継続する。 08年(19歳) 鞍馬寺の裏山の滝近くで十一面観音秘法を修行。 11年(22歳) 伝燈寺裏山の洞窟で十一面観音秘法を修法。 13年(24歳) 金沢市小立野台地で仏法流布。この間、月浦、津幡、花園、富山県仏生寺に布教。 14年(25歳) 上京し仏法流布。東海道一人徒歩旅行で、各遺跡の菩提回向のため施餓鬼法要を修法。 20年(31歳) 石川県の秘境、大山で修行。鶴来町天狗壁で施餓鬼法会修法。 21年(32歳) 釣部の景清洞(ガンドウの穴)で修行。倉谷鉱山跡で修行および施餓鬼供養。能登半島行脚。 28年(39歳) 舘山の境内に修行のため洞窟を造る。 41年(52歳) 尾山城造の案内で檀信徒有志と立山に登る。 45年(56歳) 戦没者はじめ法界万霊菩提回向のために、浅野川の川原で2年ぶりに大施餓鬼供養法要を厳修。福光坂本墓地で法界万霊を弔い施餓鬼供養法要を厳修。羽咋郡一ノ宮村字滝の墓地で施餓鬼供養法要を修法。 46年(57歳) 羽咋郡一ノ宮村字家の正覚院で東海無辺道師および杢左衛門の菩提回向のため施餓鬼供養法要を修法。 47年(58歳) 富山、岐阜県の県境にある富山県利賀村水無の窮状に対し、寺で安置している地蔵石仏を村の守り本尊として寄進。現地を訪れ、開眼供養法会を修法。村の諸精霊の菩提供養のために施餓鬼大法要を修法。 52年(63歳) 羽咋郡一ノ宮村字滝の白塚、火葬場で施餓鬼供養法要を厳修。富山県祖山の真宗道場で大槻伝蔵および村落の一切諸精霊の菩提回向のため施餓鬼法要を修法。 53年(64歳) 富山県利賀村村長の依頼で、地蔵尊開眼法要を修法。 54年(65歳) 飛騨の高山市陣屋前で大原騒動の犠牲者の菩提回向および高山地区仏教界と市民の啓もうを兼ね施餓鬼供養大法要を厳修。 57年(68歳) 奈良県生駒山頂の白水ノ沢に記念碑を建立。落慶法要を修法。
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