信教の自由とスピリチュアルケア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/28 00:46 UTC 版)
「スピリチュアルケア」の記事における「信教の自由とスピリチュアルケア」の解説
信教の自由に関する概念や法律は、ほぼ類似の場合もあれば、国ごとに異なる要素が見られる場合もある。ここでは便宜上日本人向けに日本の法律や状況を軸として簡潔に説明すると、日本国憲法の第20条は「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」としており、信教・宗教の自由を保証している。また、国連人権宣言の第18条でも、人には思想、良心と信教の自由がある、と明記している。よって、患者も信教の自由は保障されており、各人の信仰・信心にもとづいて、祈ったり、宗教的な書物や経典を読んだり、スピリチュアルケアを依頼したり、各信仰で定められた行為等(例えば、クリスチャンならば、聖体拝領、「許しの秘跡」を受ける、仏教徒ならば、お経をあげる、題目を唱える、瞑想をする 等々)を行うことができる。憲法にもとづいて、病院側は、信教の行為を可能な状態にしておく義務があり、これを禁じることはできない。と同時に、日本国憲法の第20条は「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されない」としている。よって、患者も、強制的な信教の行為からは守られるべきとされている。例えば、宗教団体系の医療施設において宗教に関係する放送などが行われることは、サービスの提供としてそれはそれで良いことだが、その場合は、それを聞きたい人の場合は聞くことができ、聞きたくない人の場合は聞かないことも選択できるような設備にしておくことが望まれている。 病院は、信教に関係する行為を可能にするため、またそれと同時に(ある宗派の)患者の信教の行為(例えば、声を出すこと)が(他の宗派の)患者の信教の自由の観点から不愉快な思いをさせないことを配慮するために、何かしらの環境を整備・工夫することが望まれている。設備、例えば相談室や、礼拝堂・仏堂・祈るための部屋などを設置することは、必要不可欠なのだという。例えば、他の患者に話の内容を聞かれずにスピリチュアルケアの専門家や宗教家に相談するための相談室や、視覚的・音響的に区切られた、何らかの宗教的な行為のための空間が必要だということなのである。 信教の自由のもとでスピリチュアルケアが提供されることが望ましいということ、また、その望ましい形、あるサービスが提供されつつ受け手は自由である、という望ましい状態を理解するのに役立つ、モデルあるいはアナロジーとして、ホテルの客室に置かれている宗教的書物の例をウァルデマール・キッペスは挙げている。ホテルの客室に聖書および仏教経典(等々)を置いておくのは、世界中のホテルにおいてほぼ常識となっている。聖書や仏教経典が置かれていることで、宿泊者は読むきっかけは提供されているが、強制はされていない。それらの本を手に取って読むという自由が確保され権利が尊重されている。本が置かれていないと読むチャンスが無い(これはこれで自由がないということになる)。ホテル側がチャンスを提供するのは親切な行為であって、強制ではない。これと同じような配慮で、病院においてもスピリチュアルケアが提供されることは憲法に保証された信教の自由の観点から望ましいことであり、また各人の信教の自由を保証した形で提供可能となっているのである。
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