信仰の目覚め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 17:45 UTC 版)
父は裕福なイングランド国教会信徒であったが、ペンは1667年に22歳でキリスト友会徒(クエーカー)になった。クエーカーは内なる光に従い、その光は神から直接来ると信じ、国王の権威を否定し、平和主義を掲げている。時はオリバー・クロムウェルが没して間もない騒乱の時期で、クエーカーは異端の考えと国王への忠誠を拒否したことで裁判にかけられていた(クエーカーは宣誓をしない)。 ペンの宗教観は、海軍軍役を通じてアイルランドに土地を得て、その権威と知性でチャールズ2世の宮廷で追従を得ることを望んだ父を激しく苦しめた。ペンがクエーカーになったきっかけは1667年にアイルランドでトマス・ローと再会したことにあり、彼から「世に打ち勝つ信仰と、世に打ち負かされる信仰がある」と言われ衝撃を受けたペンは入信を決意した。9月に集会に参加した所をコーク市長に逮捕、この時はオーラリー伯の配慮で釈放されたが、父からの手紙を受け取り1668年1月にイングランドへ帰国、家に戻ると宗教でまたもや出世から道を外れたと考えた父と再び対立、家を去ってから本格的にクエーカーとしての信仰に身を投じた。 それからは長老派牧師とクエーカーの論争に加わったり、10月にローの臨終に立ち会い、三位一体の教えを攻撃する小冊子(「揺れる砂上の楼閣」)を書いて12月に再度逮捕・投獄され、翌1669年7月にチャールズ2世・ヨーク公兄弟の取り成しで釈放されるまでの7ヶ月間ロンドン塔に監禁されたこともある。この間、獄中でローの遺言からタイトルを取り『十字架なければ王冠なし』を執筆、クエーカーとして生きる覚悟を固めた。また、病身の父が面会に訪れ回心を求められたが拒否している。 「汝が良く支配しないのなら、汝は神のために支配しなければならず、その為に神に支配される…。神に支配されないものは、暴君に支配されることになる」ウィリアム・ペン
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