信仰の結果としての富
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 19:32 UTC 版)
「キリスト教における富」の記事における「信仰の結果としての富」の解説
プロテスタントの中には富の追求は、受容されるのみならず、召命であるとすら考えている者もいる。この考え方は一般にカルヴァン主義者とピューリタンの、勤勉な労働と質素な生活は宗教的な行為であるという考えからもたらされている。ジョン・ウェスレーは富を生み出すことを広く認めたが、信仰の妨げになる富は避けるよう勧めた。彼は聴衆に「できる限り稼ぎ、できる限り倹約し、できる限り与えなさい。」と説いた。富を信仰の結果とみなすものの中には、現代の説教者と繁栄の神学を唱えるものも含まれる。彼らは神を信じ、その法に従うものに繁栄と豊穣が約束されていると説く。 繁栄の神学(英語版)(健康と繁栄の神学、繁栄の福音などとしても知られる)の支持者は、金銭的な祝福は信徒に対する神の思し召しであると、聖書は教えていると主張する。大多数の繁栄の神学の教師は、信仰、肯定的な発言、およびキリスト教施設への寄付は常にその行為を行うものに物質的な富をもたらす、と主張する。ほとんどの場合、繁栄の神学は継続説とともに教え説かれる。 繁栄の神学は1950年代に起こったヒーリング運動の際にアメリカで日の目を見始めた。一部の評論家は、ニューソート運動の影響と繁栄の神学の起源をつなげて考えている。後にワード・オブ・フェイス運動と1980年代のテレビ伝道という形で顕著になっていった。1990年代から2000年代にかけて、カリスマ運動の影響力のある多数の指導者に受け入れられるようになり、宣教師たちが世界中に広めていった。主流である福音主義者の指導者から、非聖書的教義、または明らかな異端として厳しく批判されている。
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