愛洲氏
伊勢愛洲氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:22 UTC 版)
伊勢愛洲氏は、三重県南伊勢町の五ヶ所浦にあった五ケ所城を本拠地として水軍を率いていた豪族で北畠氏の影響下にあった。室町幕府の遣明貿易に、醍醐寺座主満済との脈絡に依って「伊勢法楽舎二号船・九号船」の宝徳度(1451年)発遣以来携わっていた。愛洲久忠が北京に赴いたのは第二期・六次遣明貿易で、文明15年12月に「堺」を出港している。日向国(宮崎県)に寄港し、年を越して「寧波」を経て、北京には明の成化20年11月に到着、日本の文明18年7月4日には帰国している。 愛洲伊予守忠行は、山田三方の内部抗争で一時敗退した「蔵方牢人」の山田還住を巡って、一合戦起こる直前で仲裁の労を執っている。 伊勢神宮一禰宜氏経卿は『文明十一年十二月二七日の内宮引付』で忠行に「進上御奉行職」と謝意を表している。この書状により、伊勢愛洲氏は伊勢大神宮祭主家に代わり、国司北畠氏が食指を動かしている「神三郡」の検断権の掌握と遷宮奉行の任に当ったと思われる。
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