仮面ライダースーパー1関連
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「高杉俊介」の記事における「仮面ライダースーパー1関連」の解説
オーディション 高杉が『仮面ライダースーパー1』の主役に抜擢された理由のひとつは、高杉が自衛隊の精鋭であるレンジャー出身で、更にアメリカのグリーンベレーにも参加したという実績を持っていたことである。東映プロデューサーの平山亨は最初から高杉にほぼ決まっていたと証言している。 残り4人になり行われた大泉撮影所での立ち回りのテストでは、「沖一也」と名乗るところを「沖雅也」と言ってしまい、監督の山田稔からダメ出しを受け落ち込んだという。 その後の特技披露では、5階建ての東映動画のビルの屋上からロープでの飛び降りを見せた。待機をしている間に丹波哲郎や若林豪など『Gメン'75』の関係者も見物に集まりだし、『Gメン』の殺陣師からオーディションに落ちたらGメンに起用すると声をかけられた。 アクション 赤心少林拳の設定はメインライターの江連卓が高杉の経歴を知って追加したものである。撮影にあたって高杉は、江連の拳法の師匠でもある龍明広の指導をスーツアクターの中屋敷哲也とともに受けた。 放送開始前の撮影で左足首を骨折し、スタッフ間では降板することも検討されていた。第3話から第5話まではギプスをつけたまま演技したため、上半身のカットのみの撮影となり、全身を映す場面では吹き替えの俳優が演じていた。 第41話での檻に入れられて水中に沈められるというシーンでは、10秒程度で引き上げられるはずが人力のためうまくいかず、死にそうになったという。 オートバイの演技 オーディションに合格したが、高杉は当時大型二輪の運転免許証を所持しておらず、日本では間に合わないと云うことから渡米して国際免許を取得したという。 ハーレーダビッドソンを改造したVマシンが撮影所に届き、慣らし運転を行ったところ、ブレーキをかけきれず新品のマシンを破損してしまっている。 静岡県の駿府公園で開催されたショーでは、自ら提案してアクション用のブルーバージョンでのジャンプを披露した。アクセルターンをした際に前列の観客が砂を被ってしまったことから中止されたが、後年に静岡を訪れるとこの時のアクションが印象に残っているというファンがいたという。 歌手デビュー 主題歌を担当することになったきっかけは、前作『仮面ライダー (スカイライダー)』からの引継式の際に周囲から囃し立てられて歌を披露したことであった。 後年、石ノ森章太郎の墓参りに訪れたところ、墓標の横の石碑に『仮面ライダースーパー1』でのゴールデンディスク授賞についても印されており、感激したという。 その他 準備期間が短かったため衣裳については何も決まっておらず、高杉の意見が取り入れられた。それまでの主人公と異なり当時の流行を意識したカジュアルなものを選んだという。 路線変更により番組中盤で玄海老師らが退場したことについては、それまでの仮面ライダーシリーズになかった根性モノのテイストだったのでもったいなかったと述べている。 『仮面ライダーSPIRITS』のインタビューではスタッフに「人気が無くなると歴代ライダーが来るよと脅されていたが、最終話には全員来て欲しかった」とコメントしている[要出典]。
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