人気の州首相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 03:55 UTC 版)
「マティアス・プラツェック」の記事における「人気の州首相」の解説
1990年10月のブランデンブルク州議会選挙に同盟90の比例候補として当選。11月22日、マンフレート・シュトルペ州首相(ドイツ社会民主党=SPD)の内閣に環境・自然保護相として入閣。1992年9月に州議会議員を辞任。1993年、同盟90と緑の党が合併し同盟90/緑の党を結成する際、プラツェックはこれを拒否して入党しなかった。この間連邦参議院議員を務める。1994年、シュトルペ州首相のシュタージへの協力疑惑が浮上し連立政権が崩壊、州議会選挙ののちSPD単独政権を樹立したシュトルペ州首相は、無所属のプラツェックを再度環境相として登用。環境相としてプラツェックはブランデンブルク州の40%を景観保護区域に指定し、オーデル川下流域のポーランドとの共同国立公園化を果たした。1995年、SPDに入党。1997年夏のオーデル川洪水の際、テレビ出演が重なり全国的な知名度を得る。 1998年5月、SPD に所属するポツダム市長が閣僚の汚職疑惑でリコールされ罷免されると、プラツェックは6月に党の州幹事会に選出され市長選に出馬、9月27日の決選投票で当選した。この間連邦政府では SPD のゲアハルト・シュレーダー政権が成立し、プラツェックは入閣を要請されたが断った。11月に州政府の大臣を辞職し、ポツダム市長に就任(‐2002年)。1999年に党の連邦執行部入り、翌年州代表に選出される。2002年6月、閣内不一致を理由にシュトルペが州首相を辞任すると、プラツェックが後継のブランデンブルク州首相に就任した。就任直後にエルベ川大洪水が発生、危機管理を陣頭指揮するプラツェックの人気はさらに高まった。プラツェック内閣はドイツキリスト教民主同盟 (CDU) との大連立で、シュトルペ前州首相の残した累積赤字や経済不振対策に取り組んだ。州首相就任と同時に連邦参議院に復帰し、2004年11月から一年間、持ち回りの参議院議長職を務める。2004年、州議会選挙に出馬し当選。
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