シュタージへの協力疑惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 08:57 UTC 版)
「グレゴール・ギジ」の記事における「シュタージへの協力疑惑」の解説
1992年、ギジはかつて東ドイツ時代に弁護を担当した人物から、シュタージの非公式協力者(IM)であると告訴された。1995年にハンブルク地裁はこの主張を認めない判決を下したが、1996年に再度訴えられ、今度はギジの属する連邦議会が調査に乗り出し、彼の不逮捕特権が停止された。1998年5月、連邦議会の調査委員会は、ギジが旧東ドイツ時代の1975年から1989年にかけて、さまざまなコードネーム、とくに「IM・公証人」という名称でシュタージ(国家保安省)に協力していたと結論付けた。彼が自由派の弁護士という地位を隠れ蓑に、反体制派の情報をシュタージに提供していたというものである。 しかしこの報告書はギジの議員活動に拘束力を持つものでない上、ギジはこれに反論して認めず、また証拠や手続きに不備があったため、PDS はもとより連立与党の自由民主党(FDP)も賛成票を投じなかった。ギジは検察やSED党中央評議会と接触したことは認めたが、それは被告の弁護・保護のためであり、かつ自分は書類に出てくる「IM・公証人」というコードネームの人物ではないと繰り返し主張した。彼は辞職せず、1998年10月の連邦議会選挙でも再選されている。1998年、ハンブルク地裁は『デア・シュピーゲル』誌に対し、ギジがシュタージのために働き「IM・公証人」というコードネームを持っていたとそれ以上報じることを禁止した。その理由として同誌側がそのことを証明できなかったことを挙げた。 その後も疑惑が取り上げられ、ハンブルク検察局による捜査が行われたが、2016年6月にハンブルク地裁は証拠不十分を理由に審理を停止した。
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