京都新聞杯・菊花賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:35 UTC 版)
夏場は気候の涼しい北海道へ移動させず、東京競馬場で調整されることになった。ハイセイコーは暑さに強く、一度涼しい北海道で過ごした後で残暑の残る本州へ戻すリスクを冒すことはないと陣営が判断したためである。鈴木康弘によると、この年の暑さは厳しく体調を崩す馬が多く出たが、ハイセイコーは3日間調教を休むだけで乗り切ることができたという。 秋になると陣営はクラシック最後の一冠である菊花賞を目標に据え、前哨戦である京都新聞杯に出走させることを決定し、9月18日にハイセイコーを東京競馬場から栗東トレーニングセンターへ輸送した。10月21日に行われた京都新聞杯では1番人気に支持され、皐月賞と同じような先行策をとり、向こう正面で3、4番手から2番手に進出したが、第4コーナーで増沢が馬場状態の悪いインコースを嫌って大きく外を回ったところ、トーヨーチカラ、シャダイオー、ホウシュウエイトがインコースを通ってハイセイコーに並びかけ、激しい競り合いとなった。結果、トーヨーチカラには半馬身遅れをとり、シャダイオーにアタマ差競り勝ち2着でゴールした。鈴木勝太郎はレース後、第4コーナーで外を通り過ぎたことや初めて走る京都競馬場のコースにハイセイコーが戸惑いを見せたことを敗因に挙げ、「これで菊花賞への目安が立ちました」とコメントした。このレースは関西テレビでの競馬中継において杉本清が実況を担当したが、杉本は「京都競馬場の白鳥もうっとり、これが噂のハイセイコーです」「どうだハイセイコー、この淀の走り心地はどうだ」というフレーズを発した。このフレーズに大きな反響があり、この京都新聞杯が自身の実況が「杉本節」と呼ばれるきっかけになったと述べている。 11月11日、菊花賞に出走。1番人気に支持されたハイセイコーであったが、東京優駿で66.6%あった単勝支持率は23.8%に落ち込んでいた。先行策をとったハイセイコーは第3コーナーの手前で先頭に立ち、第4コーナーでは後続を5馬身から6馬身引き離したが、直線でタケホープが追い上げを見せ、2頭はほとんど同時にゴールインした。写真判定の結果、ハナ差でタケホープが先着しており、ハイセイコーは2着に敗れた。タケホープはハイセイコーも出走した京都新聞杯で13頭中8着に敗れており、レース後嶋田功は「ダービー前の状態に近くなってきた」とコメントしていたが、調教師の稲葉幸夫によるとレース前の3日間で体調が大きく上向き、「こわいみたいないい状態」になっていた。タケホープに騎乗した武邦彦は、ハイセイコーが「馬体を合わせるともうひと伸びする、競って強い馬である」という特徴を掴み、直線で最後まで馬体を併せず、ゴールでわずかに前に出るという乗り方を行っていた。寺山修司はこのレースでの武の騎乗を指して、「(ハイセイコーは)タケホープに負けたんじゃない。武邦に負けたんだよ」と述べている。 関西テレビの競馬中継では前走の京都新聞杯に続いてこの菊花賞も杉本清が実況を担当したが、杉本によるとこのレースはハイセイコーが生まれた武田牧場と二元中継を行っており、「スタッフ一同としてはどうしても勝ってほしい気持ちでいっぱいだった」と述べている。杉本は3コーナー付近でシンザンの主戦騎手を務めた栗田勝から教えられた「(京都の3コーナーは)抑えて上り、抑えて下らなければいけません」という言葉を思い出し、「ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと下らなければいけません」というフレーズを発した。ゴールの直後も杉本はタケホープがちょっと出たな、と思ったが、ゴールした瞬間に武田牧場の従業員の顔がテレビに映されたため、「『タケホープ勝った』とは言いにくかったから、『ほとんど同時』というようなことを言った」と当日の実況について回顧している。11月14日、ハイセイコーは東京競馬場の厩舎に戻った。
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