二人町長問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 13:50 UTC 版)
1971年(昭和46年)4月の鰺ヶ沢町長選挙において、現職である中村清次郎候補と新人の鈴木泰治候補、菊谷三郎候補で争われ、中村候補が当選し、当選証書が発行された。そして、中村候補の票に筆跡の似た投票用紙が500枚近く存在したという鈴木陣営からの選挙管理委員会への申し立てが行われた。この告発を受けて町選管は票の再点検を行い500票以上の同一筆跡票が存在したと認め、中村候補の落選を決定した。しかし、選管の事務局長が判定方法に疑問が残るということや法律上これだけではすぐ中村の当選無効の決定を出せないとして鈴木候補を当選とする告示を拒否したが、選挙管理委員長は独断で鈴木候補に当選証書を発行した。その結果、中村候補、鈴木候補の2名に当選証書が発行されることとなり、中村陣営は公文書偽造であるとして選管委員長を告発するなどどちらも正当性を主張し、結果、任期初日に2陣営がそれぞれ登庁を試みることとなった。(鈴木陣営側は混乱を避けるためとし、本人ではなく代理人が登庁) この事態に対し、裁判所は鈴木に町長としての登庁を禁止する仮処分を出し、警察は鈴木の当選証書は正規の手続を経ておらず法的な効力がないとして、鈴木が登庁して問題を引き起こした場合は業務妨害罪などを適用して逮捕すると発表した。後に警察が無効票とされた票を調査したところ同一筆跡票がなかったことが判明、県警は根拠なく無効票と取り扱ったとして町選管を捜査し、選挙管理委員長が鈴木陣営を勝たせるために不正をしたと自供、委員長と委員数名、鈴木陣営の町議や運動員が逮捕され、8名が実刑判決を受ける事態となった。 この背景には、町役場が自治体内最大の「企業」であり、町民の生活に町役場の恩恵が大きな役割を果たしていたことがあると指摘されている。 津軽地方の政争の激しさについては「津軽選挙」も参照。
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