事業と組織の再編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 03:04 UTC 版)
「カナディアン・ナショナル鉄道」の記事における「事業と組織の再編成」の解説
CNが利益を計上するようになったのは、1977年に非中核事業たりえない部分からの撤退を始めてからである。同年、当時CNの子会社であったエアカナダを別の国有会社として改組し、フェリー部門をやはり別の国有会社、CNマリン(1986年にマリン・アトランティックとなる)に改組して切り離した。鉄道事業での旅客部門はVIA-CNという名称の元でひとまとめにした。 翌1978年、連邦政府はVIA鉄道設立を決め、CNとCPRが提供していた旅客輸送を継承することとした。CNの旗艦列車である大陸横断列車スーパー・コンチネンタル(1981年廃止)と、東部で運行されていたオーシャンもVIA鉄道へと移管された。さらに、CNはニューファンドランドでの赤字事業を子会社化し、テラ・トランスポートとしたため、これに対する連邦政府の助成金は会社の事業報告書上にも明らかになった。結局、テラ・トランスポートは1988年に廃止された。 1970年代から80年代にかけて、トラック輸送の子会社、前節で述べたホテル事業(CPRへ譲渡)、不動産、電気通信といった鉄道以外の事業も切り離している。CNとCPが共同で設立したカナダ最大の電気通信事業会社、CNCPコミュニケーションズは、それぞれの電報サービス提供のためのものであったが、のちに資本関係の変化によりブランドがユニテル(ユナイテッド・コミュニケーション)、さらにAT&Tカナダとオールストリームとなった。また、CNがトロントに建てた当時世界一の自立式建造物で、高さが553.33mある電波塔CNタワーは、こちらは現在もその名称を名乗ってはいるが、1995年に連邦政府の不動産所有会社、カナダ・ランズ社(CLC)に譲渡されている。 こうした事業譲渡による収益は、CNが抱えていた負債の返済に充てられた。子会社の売却時、資本変更に先立ち、CNの財政的問題を解決するためとして、すべての子会社は助成金を必要とした。 CNはまた、鉄道路線の縮小も果たした。1970年代の鉄道事業の自由化にあたり、連邦政府から経営の自由を与えられていたのである。同様のことは、1987年にもあり、各鉄道会社が不採算路線からの撤退を決断した。CNのケースでは、いくつかの支線はいったん政府の庇護化におき、そのほかの1920年代から1930年代にかけて網の目のように敷設されたような支線はもはや地方交通網としては廃れたものとした。その結果、1970年代から1990年代初頭までの間に、数千kmの鉄道路線が廃止された。その中には、ひとつの完全な狭軌鉄道網であったニューファンドランド等のテラ・トランスポートや、プリンス・エドワード・アイランドの路線(その前身はPEIR)をはじめ、各地の支線も含まれていた。 実質的には、CNの地方路線に対する施策は、CNおよび連邦政府への恨みを生じさせた。現在廃止された多くの路線の鉄道敷設権はCNと連邦政府が所有し、地方自治体や州政府によって廃線跡として整備された。
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