事実上のナンバー2へ
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2012年4月9日、前年末に死去した金正日の朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長就任19周年記念の中央報告大会の報道で出席幹部中序列3位で紹介されている。金正日総書記死去時では18位であり、破格ともいえる大幅な序列の上昇が、新たな金正恩体制で要職へ抜擢されることを意味するのではないかと見られた。そして翌10日の労働党中央軍事委員会と国防委員会主催の宴会で人民軍総政治局長の肩書で演説、人民軍総政治局長就任が判明した。また大将から次帥に昇進したことも明らかとなった。主に党人として歩み、目立った軍歴がほとんどない人物としては異例の人事であった。更に翌11日の朝鮮労働党第4回党代表者会で党政治局常務委員、党中央軍事委員会副委員長に選任された。そして同月13日に開催された最高人民会議において国防委員会委員に選任され、同日に行われた金日成国家主席と金正日総書記の銅像除幕式で、金正恩の右隣に立ち、李英鎬、金正覚より上位の軍ナンバー2に位置づけられたと見られている。 2012年10月頃から11月頃にかけて軍に対する大規模な監察が行われ、この際に軍首脳部の10数人が解任された。この際に崔竜海も降格されたと見られており、2012年12月17日に金正日の中央追悼大会で朝鮮人民軍を代表して演説を行った際に、次帥ではなく大将と紹介されていた。しかし、その後、次帥に復帰していたことが2013年2月5日に判明しており、崔竜海と同時期に大将から中将に降格されていた金英哲偵察総局長も同時に大将に復帰していることから、この2者が改めて金正恩の信任を得たと見られている。2013年5月には金正恩の特使として中華人民共和国を訪問して中国の習近平党総書記と会見した。 崔竜海は、金正日体制下では張成沢の最側近であり、金正恩体制発足に伴い、張成沢の力添えで金正恩の最側近となり最も昇格した人物であるとも見られていたが、2013年12月に張成沢が粛清・処刑された際には、一部メディアから崔竜海と張成沢の間に権力闘争が発生した可能性や、張成沢を失脚させるために、趙延俊と共に張の不正の証拠を収集するなどして暗躍した可能性があると報じられた。 2014年2月16日を最後に動静が分からなくなったため、一部から崔竜海も粛清、あるいは軟禁されているのではとの憶測が流れたが、同年4月9日に開かれた第13期最高人民会議第1回会議で国防委員会副委員長に選出されたことで、「国」では国防委員会副委員長、「党」では政治局常務委員と中央軍事委員会副委員長、「軍」では次帥の称号を保有した総政治局長を兼職し、国家・党・軍の全ての中枢機構で金正恩に次ぐ職位を得たことが確認された。ただし、崔竜海の動静が伝えられる頻度は少ないままで、同年3月に放送された記録映画の中では足を引きずって歩くなどの状態で映っており、同年4月にも持病の糖尿病悪化による健康の悪化、烽火診療所への入院説、失脚説などが流れていた。
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