事実上の兵士として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/08 05:11 UTC 版)
「ドイツ国防軍女子補助員」の記事における「事実上の兵士として」の解説
大戦末期に至っても、補助員らが正式に「兵士」と呼ばれることはなかったが、実態として兵士と補助員の差はほとんどなくなっていた。1944年8月の時点で、空軍の防空部隊(Flugabwehrtruppe)においては、660,000人の男性兵士と450,000人の女子防空補助員が所属していた。高射砲の射撃時に空を照らす探照灯はほとんど全てが補助員の手で運用されていた。 1945年、防空補助員は自衛用にピストルを携帯することが認められた。1945年2月、従来は陸海空軍が個別に編成していた女子補助員が統合され、国防軍女子補助員軍団(Wehrmachthelferinnenkorps)が設置された。 国防軍女子補助員軍団への所属人数が最も多かったのは、1944年末から1945年初頭の時期である。同時期には多くの補助員、軍人、市民が、敵機による低高度攻撃、砲撃、疎開、飢餓、インフラの崩壊などに苦しめられた。 補助員のうち、戦死した人数、傷痍軍人として生き延びた人数、捕虜となった人数は定かではない。
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