主人への道とは? わかりやすく解説

主人への道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 22:34 UTC 版)

丁稚」の記事における「主人への道」の解説

10歳前後商店丁稚として住み込んで使い走り雑役をし、丁稚中でも経験年数によって新入りから手代目前の者までの上下関係がある(丁稚時の呼び名は「*」で、*には丁稚本人の名の一字が入る場合が多い)。丁稚仕事多岐に亘り、前述の他にへの品物出し入れ力仕事多く住み込み為に番頭手代から礼儀作法商人としての「いろは」を徹底的に叩き込まれる。また入り口付近に立って呼び込み力仕事主な仕事で、商品を扱う事は無い。丁稚奉公の者は、店が当日営業終えたからといって終わりではなく夕刻閉店した後には番頭手代らから商人として必須条件である読み書きそろばん教わった他店や客からは「小僧さん」(江戸ことば)、「丁稚どん」「坊主」などと呼ばれるその後主人船場言葉では「旦(だん)さん」。“旦那さん”が訛った思われる)の裁量手代となる。小僧から手代までおおむね10年である。手代はその字の通り主人番頭の手となって働く(手代時の呼び名は「*吉」「*七」等で、下位番頭と同じである)。そして、番頭任され大店おおだな)では“小番頭” “中番頭” “大番頭”と更にランク分けされる店もあり、呼び名は「*助」である)主人代理として店向き差配仕入方、出納帳簿整理同業者寄合への出席など支配人としての重要な業務任されるうになる番頭となるのはおおむね30歳前後であり、支店まかされたり暖簾分けされ自分商店を持つことが許される。ただしそこに到達するまでは厳し競争勝ち抜く必要があった。例えば、江戸期三井家丁稚場合暖簾分けまで到達できるのは300人に1人であった。そのため丁稚になった者の生涯未婚率高く江戸後半人口頭打ちとなった要因と言われている。そもそも農地拡大限界達して長男(その嫁)以外は田畑継げ丁稚出されたのが実情である。※明治以降になると化学肥料品種改良農薬などが発達し戦後食糧輸入増加によって養え人口増えている。

※この「主人への道」の解説は、「丁稚」の解説の一部です。
「主人への道」を含む「丁稚」の記事については、「丁稚」の概要を参照ください。

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