主なチカーノ運動
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「チカーノ・ナショナリズム」の記事における「主なチカーノ運動」の解説
1960年代から1970年代がチカーノ運動の全盛期であり、メキシコ系以外の公民権運動や市民運動とも連携し、メキシコ系アメリカ人の生活改善や文化の復権のために尽力した。以下に挙げるチカーノ運動を担った組織は結果的には衰退したが、チカーノ運動が政治運動から文化運動に移行した後も、その恩恵を与え続けた。 統一農業労働者組合 指導者はセサル・チャベス。1960年代にカリフォルニア州で農場労働者を組織化しストライキを指導していたチャベスの組織と、フィリピン系労働者組織が合併し1965年に結成された。しかし、文化的差異による内紛から共闘関係は解消され、1970年代前半に衰退していった。20世紀末の組合員は公称2万5000人。 「正義のための運動」 指導者はロドルフォ・"コーキー"・ゴンザレス。1966年にコロラド州デンバーで不法な人種差別に抵抗する組織として成立。「アストランの精神的計画」宣言や教育活動を通じて若者のメキシコ文化への目覚めを促した。他のチカーノ運動との連携を試みるも不成功に終わり、1970年代末に衰退した。 授与地連邦同盟 指導者はライエス・ロペス・ティヘリナ。ニューメキシコ州でグアダルーペ・イダルゴ条約の不履行に対して不満を持つスペイン系住民の市民運動が発展し1963年に結成された。チャマ授与地の返還を要求したデモ行進や集会を行い、州警察と衝突した事件がテレビで報道され有名となる。他の公民権運動と連携し活発に活動したが、1969年から運動は下火になった。 統一民族党 指導者はホセ・アンヘル・グティエレス。メキシコ系への偏見の強いテキサス州で、アメリカの政治システムの中からチカーノの生活向上と差別の排除を目的としてグティエレスが1969年に結成した政党。地方自治体や教育委員会にチカーノの代表を送り込む活動や、差別的企業のボイコット運動を行ったが、内紛や民主党などの圧力により1979年以降は衰退した。
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