丸の内キャンパス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 23:28 UTC 版)
第二次世界大戦後、第九師団司令部庁舎は金沢大学本部として、旧歩兵七聯隊兵舎は法文学部と教養部の校舎としてなど、旧軍施設を大学施設へ改築して利用。医学部・薬学部・工学部以外の学部・部局は、全てこの丸の内キャンパスに位置していた。 加賀藩藩政期の建造物で現存する石川門を大学の正門とし、三十間長屋も図書館の書庫の一部として利用された。1960年代に、鉄筋コンクリートの校舎に整備。一部残った軍の施設も引き続き教育学部の校舎やサークル棟等に利用されていた。大まかに言えば角間移転直前の1980年代には、本丸に理学部付属の植物園、二之丸に法学部・経済学部・文学部と図書館、三之丸と鶴之丸に教育学部や大学本部や文化サークル棟、新丸に教養部、理学部、グランド、体育館があった。玉泉院丸に県立体育館があり大学の授業で使用することもあった。校地は多少手狭ではあったが、市の中心部に位置し、歴史、自然、文化が調和した美しいキャンパスであり、石川門の通称の「白門」が、加賀藩上屋敷跡に所在する東京大学の「赤門」に倣って、金沢大学の代名詞として用いられたこともある。 1989年秋に法学部、経済学部、文学部が角間キャンパスへの総合移転の第一陣として移転。続いて1992年秋に教育学部、理学部が、1993年秋に旧教養部、その後大学本部などが移転した。角間キャンパスへの移転後、旧大学施設は一時、石川県立金沢二水高等学校の新築工事中の代替校舎として利用されたが、現在は金沢城公園として整備されている。
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