中華仏教研究所
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「中華仏教研究所」の前身は「中華学術院仏教研究所」で、前教育部部長および中国文化学院(現在の中国文化大学)創立者の張其昀博士が提唱し創立した。その目的は漢学を発揚するためであった。創立当初は中華学術院に所属し、中国文化学院内に附設されていた。 1975年、聖厳法師が日本の立正大学より文学博士号を授与されると、張其昀先生は特に聖厳法師を教員に丁重に迎えられた。 1978年、聖厳法師は張其昀先生の招聘に応じ、正式に中華学術院仏教学研究所の所長を担当した。 1981年8月、第1期の学生を募集した。 1984年、中国文化学院の制度改編により、その所属であった中華学術院仏教学研究所は学生の募集を停止した。所長であった聖厳法師は学生の募集停止はいたしかたないが、仏教の高等教育は停止することはできないと認識していた。 1985年秋、「中華仏教研究所」の名で引き続き学生を募集した。 1986年、中華仏教文化館は北投へ移転した。 中華仏教研究所は1987年に教育部へ申請立案を提出した。同年7月1日立案は批准され、8月22日に設立式典が行われた。中華学術院仏教学研究所が発行した《華岡仏教学報》は、第9号から《中華仏教学報》と名称を変更した。 1992年、方甯書教授は聖厳法師から引き継ぎ第2代所長を担当した。 1996年、李志夫教授が第3代所長を担当した。 中華仏教研究所は別に社会の人々のために「仏教学教育普及センター」を設立し、仏教学と座禅修行の研究課程を計画した。 2001年、法鼓山世界仏教教育園区の第一期工事が完成し、中華仏教研究所は金山まの現所在地に引っ越した。その学制課程は毎年10 - 12人の大学、専門学校の学歴を有する研修生を募集し、3年間の授業を施す。 これ以外に、1990年以来、毎年数名を募集し選択し、2年間の修行を施す。1996年以来、正式な研究生になれない者には、別に科目を選択させる方式で若干名を選抜した。
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