中山大障害創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:24 UTC 版)
古作の土地は、起伏に富んだ独特の地形であり、この上に建設された中山競馬場もまた、直線に急坂を備えるなどした独特のコース形態となった。肥田はこれに着目し、東京競馬倶楽部が東京優駿大競走(日本ダービー)を創設したことを機に、対抗する目玉の競走として、かねて腹案としていた障害の大競走創設を実行に移した。協力を仰いだ騎兵少佐・岡田小七によるコース設計は、距離4100m、大竹柵、大土塁、大生垣という三大障害など8つの障害で計10回の飛越を行い、高低差4.06メートルから5メートルの3つ坂路を2回ずつ上下するという、当時の障害競走の常識をはるかに越えたものであった。出走馬が集まらないであろう、人馬とも未熟であるため危険が伴う、といった反対意見も出たが、1934年12月5日に「大障碍特別競走」として第1回競走が行われた。出走馬4頭と少ない中で肥田の所有馬キンテン(稲葉幸夫騎乗)が初代の優勝馬となった。その後「大障害特別」は「中山大障害」と名を変えて春秋2回の開催となり、日本における障害の最高格競走(2001年以降、障害で唯一のGI級競走)として定着、春季競走は2001年より「中山グランドジャンプ」と改名されて国際競走となった。 このほか、中山競馬場では日本ダービーに先駆けて行われた4歳馬限定の本格的ステークス競走「中山秋季特別」(1929年創設)や、平地競走で日本最長距離の4000mで施行された「中山四千米」(1930年創設)など数々の名物競走が行われた。他の倶楽部ではこうした競走の副賞に銀杯を提供することが専らであったが、中山では陶製の花器や金属の馬像なども用意され、「とにかくこの倶楽部は変わったことをするので有名だ」(『競馬フアン』昭和12年12月号)とも評された。
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