中山家の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/15 05:20 UTC 版)
正保3年(1646年)、水戸藩初代藩主徳川頼房の附家老中山信政は松岡に居館を築いた(幕藩体制の下、水戸藩の一部であり、正式に藩とは認められなかった)。信政は中山信吉の子で、信吉も頼房の附家老として2万石を与えられていた。宝永4年(1707年)、第6代中山信敏のとき、久慈郡太田に居館を移した。 第10代中山信敬は第6代水戸藩主徳川治保の弟であった。信敬は養子として中山家を継嗣するに及んで居館を再び松岡に戻し、同氏の地位向上に力を尽くした。同時に城下町の整備なども行なわれたため財政難となり、家臣の俸禄借り上げなどが行なわれた。 第14代中山信徴の時代である明治元年(1868年)1月、新政府の特旨により松岡藩は正式に水戸藩から独立した。明治2年(1869年)の版籍奉還で信徴は松岡藩知事となったが、明治4年(1871年)の廃藩置県で松岡藩は廃されて松岡県となった。同年11月、松岡県は茨城県に編入された。明治17年(1884年)の華族令発布により、信徴の長男中山信実は男爵を授けられた。
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