中世における都市国家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 20:20 UTC 版)
古代における都市国家が周辺の農地・牧地と一体のものであったのに対し、中世におけるヨーロッパの都市国家の多くは、自給自足に足る程の農地や牧地を持たず、それ以外の産業、具体的には商工業に従事する人口を抱えるようになった。それら都市国家は、領域国家間の交易の仲介や、手工業品の輸出によって成立していた。つまり、領域国家の成立後に、それら領域国家の存在を前提として、都市が国家として独立して生まれたのが、中世の都市国家である。 一方で、周辺の領土や都市外で活動する帰属民、飛び地や海外の植民地を抱える、比較的広大な勢力圏を有する都市国家も存在した。 ヴェネツィア共和国などのイタリアの小国家群、神聖ローマ帝国の帝国都市などが、中世ヨーロッパの都市国家の例として挙げられる。 このような都市国家が成立した背景としては、当時のヨーロッパが封建社会で農業経済を前提としていた事から、商工業を基盤とするには、それとは異なる国家機構が必要だったからである。16世紀以降の絶対王政への移行とともに、封建諸侯同様に都市国家も王権の元に組み込まれるようになっていったが、それでも後述の通り近現代まで存続した場合も多かった。 日本における堺や博多なども、ほぼ完全な自治を行っていた点に鑑みると、中世ヨーロッパの都市国家に相当する地域であったと考えられる。ヨーロッパの都市国家が王権の元に組み込まれていったのと同様、堺や博多も織田信長や豊臣秀吉の天下統一事業の過程で、自治を失った。
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