中世における進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 14:12 UTC 版)
中世とルネサンス期においては、教会の四つの不可謬が認められていた。第一は全教会の構成員の総意による決定の不可謬、第二は世界の司教たちの総意による不可謬、第三は公会議の不可謬、そして第四は教皇の不可謬である。 公会議の不可謬について初めて体系的に論じたのは9世紀の神学者テオドール・アブ・クーラであった。さらに中世の数人の神学者たちが信仰と道徳に関する事柄についての教皇の不可謬性について論じている。その中で特に有名なのはトマス・アクィナスとピエトロ・オリヴィであるが、1330年にカルメル会員であった司教グイド・テレーニが賜物としての教皇の不可謬性の行使について言及している。これは第1バチカン公会議における「教皇不可謬」へのアプローチとまったく同じものであった。
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