下院反トラスト委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 22:38 UTC 版)
「1957年のメジャーリーグベースボール」の記事における「下院反トラスト委員会」の解説
5年前の1952年に野球機構が独占禁止法違反の疑いがあるとして、議会として調査してその結果を報告にまとめ、保留条項について必ずしも違法とは言えないとの結論を出した下院反トラスト委員会(イマヌエル・セラ委員長)は、この年の夏に公聴会を開き野球をシャーマン反トラスト法の下におくための法案の準備に入った。これはこの年の2月に連邦最高裁がアメリカンフットボールに対して「フットボール機構のうちに含まれる全米を対象とする事業について、アメリカのスポーツ企業が反トラスト法の適用範囲のうちに置くものである」との判例が出されたからであった。 フェデラルリーグの提訴から始まり、長期の裁判を経て1922年に決着した「1922年の最高裁の判例」でも裁判官の間で議論になったのは、野球ビジネスが「もっぱら州で行われる行事」と見なすか、州をまたぐ「州際通商」と見なすかであった。州の行事であればもはや連邦政府が関与する問題ではなく、連邦政府が独占禁止法を適用できるのはあくまで複数の州をまたぐ「州際通商」でなければならなかった。1922年の時でも最高裁で「リーグを構成する球団はお互い別の州の別の都市に存在し、この球団同士で絶え間なく移動を繰り返している。この事業は・・・その意味で州の間の通商である」という意見もあった。しかし「州を移動するのは附随事項に過ぎず本質ではない」として野球の試合は独占禁止法の対象となる「州際通商」ではないと結論を出している。 1957年2月に最高裁が出した判例にある全米を対象とするものについて、各州をまたぐ選手の移動、全米に放送されるテレビ・ラジオの全国的な放送網、1つの州だけではない広告料収入、ファームシステムの広範囲さから、フットボールだけに限らず,ベースボールも同じように見なされるとして、セラ委員長は判例が出た翌日には法案を公表し、委員でもあるヒーリング下院議員は大リーグが東部に集中し独占していることから西海岸にも進出することを義務付けする法案を用意した。 委員会は翌1958年1月に下院法務委員会に法案を提出した。この法案は「セラ法案」と呼ばれたが、保留条項については「適度に必要なもの」として現状のままとして、球場、売店、駐車場などのプロスポーツの商業的な面のみについて反トラスト法を適用するというものであった。しかし大リーグ機構はこの法案に猛反対した。そしてこれとは別に議会内でキーティング議員を中心に別の法案が提出され、1958年は議会での動きに注目が集まった。
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