上方の寄席(吉本による独占・チェーン化)
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「寄席」の記事における「上方の寄席(吉本による独占・チェーン化)」の解説
戦前に関西地方にあった落語の主な寄席は以下である。 桂派の定席の寄席金沢亭(大阪・ミナミ法善寺) 幾代亭(大阪・船場淡路町) 林家亭(大阪・岸和田大工町) 瓢亭(大阪・西区新町) 三友派の定席の寄席紅梅亭(大阪・ミナミ法善寺) 此花館(大阪・平野区) 永楽館(大阪・北新地) 賑江亭(大阪・堀江) 花月派(吉本興行部)第二文芸館(大阪・北区天神橋) 芦辺館(大阪・松島) 龍虎館(大阪・福島) 松井座(大阪・梅田) 都座(大阪・天神橋筋) 大正に入り吉本興業は多くの寄席を(紅梅亭や賑江亭等)買収し名前に「花月」を付けた。大阪だけでも20あまりの寄席を買収、京都、神戸、名古屋、横浜、東京等にも寄席を展開した。上方(大阪)では明治時代から昭和初期の大阪市内、特にミナミ法善寺周辺には、北側に三友派の象徴であった「紅梅亭」、南側に桂派の象徴であった「南地金沢亭」(後に吉本興業(以下、吉本)が買収し「南地花月」)が存在ししのぎを削った。浪曲は、1907年(明治40年)桃中軒雲右衛門の関西巡演までは「浮かれ節」と呼ばれ、明治前半には浮かれ節専門の寄席(天満・国光席、松島・広沢館、千日前・愛進館など)が既に存在した。 他にもキタ北新地の「永楽館」(後に吉本傘下に入り「北新地花月倶楽部」)はじめ、上本町、堀江、松屋町、新町、松島、大阪天満宮界隈などに十数軒の落語専門定席が存在していた。その後吉本が寄席でいっそう漫才主体の番組構成をとったことや、桂春団治など落語家の専属契約を推し進め、自社の経営する寄席である「花月」のみの出演としたことなどから、上方落語の寄席文化は壊滅的打撃を受けた。
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