上方の講談とは? わかりやすく解説

上方の講談

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:01 UTC 版)

講談」の記事における「上方の講談」の解説

上方関西)の講談は「軍談」と「神道講釈」の二つ流れ融合したもので、大正時代立川文庫生みの親である玉田玉秀斎などの玉田派が上方講談界を席巻した。その後玉田松月堂など上方講談一門昭和初期命脈尽き、本来の上講談系譜はいったん絶えたと言える。こうして、本来は江戸屋号である旭堂のみが残り二代目南陵奮闘もあって、上方講談唯一の屋号として今日まで継承されている。 戦後になると、上方落語以上に衰退著し上方講談は、江戸講談系譜連なる二代目旭堂南陵二代目旭堂小南陵(後の三代目旭堂南陵父子のみの状態となった。1965年二代目亡くなった後は三代目孤軍奮闘長く続いた。現在も数は多くはないが、三代目南陵弟子たちにより地道な活動続けられ当面危機脱した。「上方講談聞く会」「天満講談席」「トリイ講談席」「日本一南陵会」など定期講談席も続けられている。 その後三代目南陵弟子間で訴訟にまで発展する内紛があり、四代目南陵(前名小南陵・元参議院議員一門は「上方講談協会」を除名され大阪講談協会」を結成した2017年、さらに旭堂南鱗以下の旧三代目南陵一門離脱しなみはや講談協会」を設立。「上方講談協会」は旭堂南左衛門一門のみとなり、上方の講談界は少人数ながら三団体となる。 上方講談協会会長旭堂南左衛門大阪講談協会会長4代目旭堂南陵2020年7月死去により会長空席なみはや講談協会会長旭堂南鱗

※この「上方の講談」の解説は、「講談」の解説の一部です。
「上方の講談」を含む「講談」の記事については、「講談」の概要を参照ください。

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