三越金沢店から初代・丸越
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 11:54 UTC 版)
金沢の本店は、老舗製茶業の一族だった林屋亀次郎が武蔵ヶ辻に建設したビルに、1930年(昭和5年)に三越金沢店を招致して開業させたのが始まりである。 この三越金沢店が高級品や中級品を主として営業したのに対し、地元の百貨店宮一大丸が大丸との提携によって中級品以下の格安品を集めて、商品の回転率を高める大衆的営業を展開して優位に立ったため、1935年(昭和10年)にわずか5年で撤退に追い込まれてしまった。 閉店した際にビルのオーナーの林屋亀次郎が、三越に返済する保証金の支払いに困窮していたのを宮市大丸が提携により支援して、同店跡を利用して同年9月に丸越として開業した。 1937年(昭和12年)4月に丸越初の支店である高岡店を末広通りと御旅屋通りが交差する十字路の一角に開店して多店化に乗り出した。当初、高岡市最大の繁華街であった坂下町への出店を計画していたが、地元商店街の強硬な反対運動に遭ったため断念、当時まだ商店の少なかった末広通りと御旅屋通りが交差する十字路の一角に出店することになったという経緯がある。 翌年1938年(昭和13年)には、1937年(昭和12年)9月29日に新潟市の中心市街地古町地区の一角に開業したものの、ノウハウ不足で半年後の決算で大赤字となっていた萬代百貨店に経営陣を派遣して傘下に入れ、1939年(昭和14年)には合併して直営の新潟店とし、開業から僅か3年ほどの間に宮一大丸と同様に三県に3店舗を構える百貨店チェーンを一気に構築した。 しかし、戦時統制の進展に伴う企業統合令の発令により統合を求められたため1943年(昭和18年)12月21日に同じ金沢に本店を置く百貨店チェーンだった宮市大丸と合併して、林屋亀次郎が会長で井村徳二を社長とする資本金310万円の株式会社大和を設立し、店舗名も大和に変更された。 その際に金沢の本店は宮一大丸側の片町とされ、当社の本店は武蔵店となった。 大和となって以降の高岡店と新潟店については大和 (百貨店)を参照。
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