三益愛子とは? わかりやすく解説

三益愛子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/26 01:58 UTC 版)

みます あいこ
三益 愛子
1954年
本名 川口 愛子(旧姓:乾)
別名義 水町 晴子
生年月日 (1910-11-02) 1910年11月2日
没年月日 (1982-01-18) 1982年1月18日(71歳没)
出生地 日本 大阪府大阪市南区南炭屋町
職業 女優
ジャンル 演劇映画テレビドラマ
活動期間 1932年 - 1982年
配偶者 川口松太郎
著名な家族 川口浩(長男)
川口恒(次男)
川口厚(三男)
川口晶(長女)
主な作品
がめつい奴
 
受賞
芸術祭賞1959年
テアトロン賞(1959年)
紫綬褒章1976年
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三益 愛子(みます あいこ、1910年明治43年)11月2日 - 1982年昭和57年)1月18日[1])は、日本の女優。戦後、母物映画で一世を風靡し、「母物映画女優」と呼ばれた。

本名:川口 愛子(かわぐち あいこ)、旧姓:乾(いぬい)。大阪府大阪市南区南炭屋町(現・中央区)の生まれ。夫は直木賞作家の川口松太郎。川口との間には三男一女があり、俳優の川口浩は長男にあたる。宝塚歌劇団24期生の紀川瑠璃子は実妹にあたる。

来歴・人物

1927年(昭和2年)に大阪府立阿倍野高等女学校を中退し、大阪の劇団『新潮劇』に加入。水町晴子の芸名で初舞台を踏んだ。 曾我廼家五九郎一座などへの出演を経て[2] 1929年(昭和4年)に上京。1932年(昭和7年)には松竹専属となった榎本健一の劇団『ピエル・ブリヤント』に入りエノケンの相手役をつとめた。翌年には、古川緑波もいた松竹傘下の喜劇集団『笑いの王国』に招かれ、芸名を三益愛子に変えて看板女優となった。1934年(昭和9年)には太秦発声映画で映画初出演し、その翌年に東宝に入った。戦前は舞台だけでなく、映画でもコメディエンヌとして活動した。

1936年(昭和11年)に長男の浩を出産、当時は浩の父親である川口松太郎に妻子があったため、1951年(昭和26年)まで入籍しなかった。1942年(昭和17年)には芸能界を引退して家庭に入るものの、松太郎の勧めで1947年(昭和22年)に芸能界に復帰した。同年12月、松太郎が大映の専務取締役(制作担当)に就任すると共に大映に入社。

1948年(昭和23年)に映画『山猫令嬢』に女学生の母親役で主演。この役が大ヒットとなり、以降は悲劇の母を演じた「母もの」シリーズに10年間で33本もの主演を続けた。娘役を演じた三條美紀は、三益は自分の枕でなければ眠れないため、ロケに向かう際は枕を抱えていたと証言しており、三條もそれに倣うようになったという[3]

1956年(昭和31年)8月23日、ヴェネツィア国際映画祭に出席のためイタリアヴェネツィアへ出発。同9月13日、日本に帰国した。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問となった。

1959年(昭和34年)、菊田一夫の舞台『がめつい奴』で主役の「お鹿ばあさん」役を演じて、大ヒットとなる。上演日数270日、上演回数371回のロングラン記録を作った。この演技で芸術祭賞、テアトロン賞を受賞する。

1976年(昭和51年)、東映横浜暗黒街 マシンガンの竜』で菅原文太の母親として親子でマシンガンを撃ちまくる麻薬強盗役を演じた。11月、紫綬褒章を受章した。

1982年(昭和57年)、東京女子医科大学病院膵臓癌のため死去した。享年71。墓所は雑司ヶ谷霊園

主な出演

映画

テレビドラマ

舞台

  • がめつい奴(1959年)

脚注

  1. ^ 三益愛子』 - コトバンク
  2. ^ 三益愛子『出身県別 現代人物事典 西日本版』p1009 サン・データ・システム 1980年
  3. ^ 別冊映画秘宝編集部 編 編「三條美紀インタビュー」『<保存版>別冊映画秘宝 東宝特撮女優大全集』洋泉社、2014年9月24日、161-163頁。ISBN 978-4-8003-0495-7 
  4. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 536, 「主要特撮作品配役リスト」

参考文献

外部リンク





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