第八飛行船とは? わかりやすく解説

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第八飛行船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 18:35 UTC 版)

艦歴
発注 1928年
起工
初飛行 1929年7月23日
就役
解体 1932年2月15日
性能諸元
重量
体積 7,500 m3
全長 82.3 m
全幅 15 m(最大直径)
全高 17 m
機関 三式発動機 150 hp ×2基
速度 巡航 40ノット(74.08 km/h)
最大 56ノット(103.7 km/h)
航続距離 1,800 km
上昇限度
乗員 6名

第八飛行船(だい8ひこうせん)は、日本海軍が使用した国産の半硬式飛行船である。1927年(昭和2年)10月に事故で失われた第六航空船[1]の代船として建造された。

「第八飛行船」は本船の固有名であり、型式名は「三式飛行船」という(三式飛行船は本船1隻のみ)。

概要

イタリアから購入した第六航空船が1927年10月に失われたのを受けて、その代船を国産することが決定され、第六航空船の図面をもとに、1928年(昭和3年)、気嚢は藤倉工業、骨格とゴンドラは三菱航空機、発動機(ベンツ製130hp発動機の改良型)は東京瓦斯電気工業に発注された。船体は第六航空船よりも強化されていた。浮揚ガスには水素が使用されており爆発の危険性があった。(注:当時、浮揚ガスに水素を用いることは一般的であり安全性軽視と言う訳ではない。)

進空式は1929年(昭和4年)7月23日霞ヶ浦で行われ、その後、各種実験や係留装置の試験に従事した。

1931年(昭和6年)3月10日には順宮厚子内親王ご誕生(3月7日)を祝って第五飛行船、第九飛行船とともに東京訪問飛行を行った。

1931年3月14日から17日にかけて長時間滞空飛行を実施した。2組12名の乗員を乗せた第八飛行船は3月14日午後11時27分に離昇し、霞ヶ浦、鹿島灘付近を飛行しつづけ、17日午前11時28分、60時間1分の滞空を終えて着陸した。これは当時の半硬式飛行船滞空の世界記録であった。

その後、飛行船の兵器としての価値に乏しいと判断された本船は1931年11月に廃棄が決定され、翌1932年2月15日に解体された。

脚注・参考文献

  1. ^ 日本海軍は昭和3年3月まで飛行船のことを「航空船」と称した。(日本飛行船物語P.302)
  • 『日本飛行船物語 - 航空界の特異な航跡を辿る』秋本実(光人社NF文庫、2007年)ISBN 978-4-7698-2526-5






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