万内川十一号堰堤
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文化財としての特徴 | 万内川流域では、明治35年の粟立山の大崩壊により多量の土砂が流出し下流の西野谷地区で大きな被害をうけました。このため、砂防事業として大正15年に着手し、現地の石を利用した手作業による空石積構造であったが、昭和初期の被災により練石積に補強しており、現在でも周囲の景観ともよく調和し、また、砂防機能も維持しています。 |
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万内川十一号堰堤
名称: | 万内川十一号堰堤 |
ふりがな: | ばんないがわじゅういちごうえんてい |
登録番号: | 15 - 0151 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
構造: | 重力式石造及びコンクリート造堰堤、堤長33m、堤高4.0m、下流両側護岸及び副堰堤付 |
時代区分: | 大正 |
年代: | 大正15頃/昭和8頃改造 |
代表都道府県: | 新潟県 |
所在地: | 新潟県妙高市大字西野谷 |
登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
備考(調査): | |
施工者: | |
解説文: | 万内川中流域の狭窄部に建設される。下流側法勾配2分,上流側法勾配5厘で,水通しを堤体中央部に設け,ほぼ左右対称の形状をとる。護岸,水叩き,副堰堤の残存状況良好。水叩き部を石張で強固に築き,水通し幅を広くとるなど洗掘防止の工夫が見られる。 |
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