万内川三号堰堤
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| 文化財としての特徴 | 万内川流域では、明治35年の粟立山の大崩壊により多量の土砂が流出し下流の西野谷地区で大きな被害をうけました。このため、砂防事業として大正11年に着手し、現地の石を利用した手作業による空石積構造であったが、昭和初期の被災により練石積に補強しており、現在でも周囲の景観ともよく調和し、また、砂防機能も維持しています。 |
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万内川三号堰堤
| 名称: | 万内川三号堰堤 |
| ふりがな: | ばんないがわさんごうえんてい |
| 登録番号: | 15 - 0146 |
| 員数(数): | 1 |
| 員数(単位): | 基 |
| 構造: | 重力式石造堰堤、堤長35m、堤高2.0m |
| 時代区分: | 大正 |
| 年代: | 大正11頃 |
| 代表都道府県: | 新潟県 |
| 所在地: | 新潟県妙高市大字西野谷 |
| 登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
| 備考(調査): | |
| 施工者: | |
| 解説文: | 万内川砂防工事は,明治35年の粟立山崩壊以降増大した流出土砂を防ぐために新潟県で実施された最初の砂防事業で,県の国庫補助事業として進められた。三号堰堤は,当初空積の堤体を昭和初期に練積で補強しており,右岸側堤長を長くとるのが特徴。 |
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