一時休刊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 20:42 UTC 版)
日本スポーツ出版社もバブル崩壊に伴い経営が悪化し、経営悪化と同時期に出会い系サイトなどの性風俗系企業や闇金融の広告が増え、広告もそれらの広告が半数以上を占める号もあった。2004年8月に経営陣が刷新され、これによりゴング(月刊)創刊者で日本スポーツ出版社代表取締役社長だった竹内宏介と週刊ゴング3代目編集長で日本スポーツ出版社執行役員を務めていた小佐野景浩が日本スポーツ出版社の役員を退任した他、週刊ゴング歴代編集長の日本スポーツ出版社の退社が相次ぎ、2005年11月には2004年10月まで4代目編集長を務め、以降はプロデューサーの肩書で週刊ゴングに関わっていた金沢克彦が、2006年2月には5代目編集長の吉川義治がそれぞれ退社した。2006年11月には目玉コーナーでなおかつ最長連載企画だった評論家座談会コーナー「三者三様」が終了した。同年12月には、日本スポーツ出版社が金沢に対し週刊ゴング編集長への復帰を打診したものの、金沢はこの話を拒否した。また、2007年に入ってからは、記者やカメラマンに対しての取材費が削減された。 2007年2月19日に日本スポーツ出版社社長である前田大作が民事再生法違反容疑で逮捕された際には、3月7日発売号で廃刊となると一部マスコミが報じた。また、モバイルサイトが3月で閉鎖されることも相まって読者の不安が拡大し、さらに初代編集長の舟木昭太郎や3代目編集長の小佐野景浩、元『週刊プロレス』編集長のターザン山本が編集スタッフやフリーライターに対して2月分の給料や原稿料が支払われていないことや、『ゴング格闘技』の編集スタッフ全員が2月23日発売号を以って日本スポーツ出版社を解雇されたり、日本スポーツ出版社の役員や社員が週刊ゴング存続のために金策に奔走していることを明らかにした。 日本スポーツ出版社は2007年3月2日にウェブサイト上で、編集スタッフの中に退職希望者がいる事実を認めた上でマスコミの報道を否定し、フリーの立場で週刊ゴングに寄稿していた小佐野も3月14日発売号まで仕事があるとして休刊を否定した。「三者三様」のメンバーだった門馬忠雄は知人などから事実確認を求める電話があったことを明かし、2007年3月4日のプロレスリング・ノア日本武道館大会や同年3月6日の新日本プロレス後楽園ホール大会で、門馬に声をかけられた編集スタッフから、廃刊騒動直後に日本スポーツ出版社を退社した編集スタッフが実際にいた事を明らかにした。最終的に、2007年3月14日発売号での休刊が、3月13日付のスポーツ報知で改めて報じられ、実際に同号の誌上にて正式に「一時休刊」が発表された。なお、前述のスポーツ報知では報道では休刊号は1167号とされたが、実際には1168号である(別冊ゴングから数えたバックナンバーは、38巻64号通算1347号)。
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