レギュラー版末期とは? わかりやすく解説

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レギュラー版末期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 08:39 UTC 版)

平成教育委員会」の記事における「レギュラー版末期」の解説

1996年10月に3チーム対抗戦田代班・席は青、ラサール班・席は緑、寿美班・席は赤)になり、10月 - 12月生徒12人から9人に減らされた。これに伴い中井美穂司会兼業から解答者専任となったこの頃は、レギュラー放送でも「給食」が実施されるようになったが、パズルを解くのではなく制限時間以内指定されテーマ言葉しりとり5つ答えていくクイズ形式になっていた(正解したらダッシュして、ベルトコンベア流されていくプレートを取る。取ったプレート書かれている人前分の料理食べられる)。 1997年1月に、新たに助手役として小島奈津子当時フジテレビアナウンサー)が登場授業国語算数といったものに戻され初期に近い形となる。 しかし、以前からのマンネリ化や、裏番組の『筋肉番付』が人気上げていき、また『スーパースペシャル』にも負けて視聴率低迷していったため、1997年9月終了することになった1997年9月27日最終回では、ラサール石井清水圭などの優秀な生徒32人が総出演(この時の解答席青・緑・赤に4色であった)。これまで出題し難問を総復習し優等生成績不良生徒決定した最後に生徒代表として田代まさしラサール石井謝辞読み上げ出演生徒全員一人ずつ北野薔薇の花を渡した北野もこの番組に対して想い深かったこともあって、感極まり涙を見せたエンディングでは第1回放送放課後映像流れ北野逸見語り合いお互いに肩を組んで教室去っていくシーン番組締めくくった。 こうして1997年9月レギュラー放送終了し小学校修了過程と同じ6年間でいったん幕を下ろすこととなる。なおこの当時番組スペシャル版継続することまで視野入れていなかった。

※この「レギュラー版末期」の解説は、「平成教育委員会」の解説の一部です。
「レギュラー版末期」を含む「平成教育委員会」の記事については、「平成教育委員会」の概要を参照ください。

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